三遊亭圓龍師匠が亡くなった。悪性腫瘍とのことだ。1年ほど前、黒門亭に出演していて下りる際、立ち上がれずに足を引きずるように下りて、袴が破れたことがあった。その後、楽屋で「もう高座は無理だなぁ、きょうの高座が最後になるかな」とおっしゃっていた。かなり身体の具合が悪かったようだ。

 アタシが入門して前座となって、その暮れに年賀状のあて名書きを頼まれたことがあった。亀戸の団地に来るように言われ、数時間缶詰になって、かなりの枚数を書いた。報酬ももちろんいただいたが、その時、「前座はこんな仕事を頼まれることもあるんだなぁ」と驚いたものだ。

 帰りが総武線の電車で一緒だったことから、東宝名人会の帰りなど、よく一緒になった。妙なことも教えてくださった。たしか、噺家は収入が少ないので、そのために何らかの方法をとらざるを得ない時がある、といったような理由であった。それは駅の改札口をタダで通過する方法である。  

 どうするのかというと、駅員は後ろ向きになっているので、脇見や反対側を向いている時に定期券のようなものを持って、スッと走り抜けるのである。圓龍師は太っている割には身のこなしが早かった。しかし、降りる時にどうやって改札口をスリ抜けるのかは教えてもらわなかった。

 若いころの高座では余興に政治家の物まねをよくやっていた。佐々木更三氏や春日一幸氏といった野党の党首らのまねがうまかった。また、スポーツ好きでマクラでは「スポーツの穴」のようなことをよくおしゃべりされていた。いろいろお世話になりました。ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。