2008年03月

 3月30日、浅草演芸ホールの代演、13時上がり。客席は一、二階ともほぼ埋まっていた。土、日曜日のお客さんには分かりやすい出し物が一番ということで「犬の目」を演る。

 高座を降りて池袋の新作落語の会、15時20分上がりまで時間があったので楽屋でくつろいでいると、橘家竹蔵師匠から「時間があるなら池袋までバスで行けば」との助言。そうか、その手があったか。二つ目の頃、田端に住んでいた頃は浅草まで良くバスを利用したものだが、ここのところほとんど乗ることもなく、すっかり忘れていた。

 寄席から程近い国際通りのバス停から乗り込み、母校、東洋大学の前を通り池袋までちょうど1時間。15時少し前に楽屋入りが出来た。ここは竹蔵師匠に感謝である。この芝居、三度目の高座。そして三度目の浪江裕史・作『娘の結婚』。やっと、きょう、まあまあ納得のいく出来となった。

 高座を降りて、すぐ浅草へ逆戻り。今度は省線で上野へ出て、そこから地下鉄銀座線で田原町へ向かい、徒歩5分ほど、トリの橘家円蔵師匠が降りる前に楽屋入りが出来た。実は昨日も浅草の代演に行き、その時円蔵師匠から「明日、打ち上げがあるから良かったらおいで」と言われていたのだが、浅草の後、池袋の高座があることを伝えたら「じゃあ、来なくていい」と言われていた。しかし、アタシは間に合えば参加しようと思っていたのである。

 寄席のすぐ近くの「天健」というてんぷら家の二階座敷。鈴々舎馬風会長、桂文楽師匠、古今亭志ん駒師匠、漫才の昭和のいる・こいる先生、他、お弟子さんなど総勢15名ほど。昔話に大いに花が咲き、なかでも文楽師匠の『風呂敷』を地で行くような話には皆バカ受けになった。                                                               
 木久扇も打ち上げでこの店をよく使うのだが、やはり一門が違うと話題も違って来るもんなんだなあと変に感心する。アタシ同様、一門以外では初音家左橋師匠も参加していて、ご馳走になったお礼に「鶯の谷渡り」を一鳴きして解散。
 お蔭様で名物のかき揚げなど十分に堪能させていただいた。円蔵師匠、本当にご馳走様でした。

 3月22日、23日はカミさんの親父様の米寿を祝う会を兼ねた西伊豆・堂ヶ島への家族旅行。カミさんの両親、カミさんの兄貴の家族、2人の妹の家族ら総勢17名。うちはアタシとカミさんと長男、次女が参加。(長女は歌舞伎座で役者さんの付き人をしていて26日の楽日まで休みが取れず不参加、残念)

 朝8時30分、我が家の前に親父様が乗った車とカミさんの兄貴の嫁さんが運転してきた車2台が集合。カミさんのすぐ下の妹家族は住まいが横浜なので直接西伊豆へと向かい、その下の妹家族は亭主が熱を出して(どこでもこういう間の悪いのがいるんだよなあ)、車の予定が急遽、亭主抜きで電車で現地に向かうことになった。

 厚木インターを下りて、待ち合わせ場所の伊東マリンタウンのインドネシア風レストランで一同が会して昼食。アタシは汁ビーフンをいただく(夜の宴会に備えてごく軽めに)。その後、義姉とすぐ下の妹の車は堂ヶ島のニュー銀水荘へ直行する。
  我々の車はカミさんの下の妹と娘が乗った踊り子号と蓮台寺駅で待ち合わせのため海岸線をドライブ。少し早めに着いたので駅前のホームセンターで時間つぶし。ここでカミさん、鉢植えの安いのを見つけ、2鉢買い込み両親へのプレゼント用にするという。(やはり、どっか抜け目がない)アタシも鉢にアルミホイルを巻くのを手伝う。まもなく下の妹親子と落ち合い、我々もニュー銀水荘へ。これで17名全員が揃う。

 午後7時宴会場へ。大きな広間に向かい合わせに2列の膳が並ぶ。まずは米寿を祝して乾杯。ホテル自慢の料理が次から次へと運ばれ、みな舌鼓を打つ。そのうち隣の部屋に触発され、何となくカラオケが始まり、これも何となくアタシが司会をやることになり、前座として「夢芝居」を歌う。その後、両親の孫たちが次から次へと登場、アタシの知らない歌が延々と続く。

 宴会が盛り上がるうち、アタシが還暦だということに皆が気付き、お付きのお姐さんが頼みもしないのに赤いちゃんちゃんこと帽子を持ってきてしまった。アタシは還暦になってもこれだけはやりたくないと思っていたのだが、もうしょうがない。カメラの放列の餌食になってしまった。そんな宴会も9時半にて無事終了。

 さて、翌日も天気に恵まれ、全員でカミさんがどうしても行きたいという洞窟めぐりに出かけたが、まさか遊覧船が洞窟の中にまで入って行くとは思わず、なかなか味わえない経験をさせてもらった。ここで横浜の妹夫婦と別れ、我々も一路東京へと向かった。みんなに集まって祝ってもらい、さぞかしご両親もお喜びのことであったであろう。めでたし、めでたし。次は卆寿だな
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文鳥のシロちゃん
 我が家で飼っていた文鳥のシロちゃんが死んだ。
 10年ほど前、長女が手乗り文鳥を飼いたいと言い出し、文鳥のヒナを買い求め、無事、桜文鳥の手乗りの成鳥に育った。そのうち、一羽では可哀想だということになり、つがいの一羽を求めに小鳥屋に行った。つがいとなると、どうやら相性というものがあるそうで、三羽ほど交互に一羽ずつ一緒の籠に入れ、その中の一羽が一番良さそうだというのでその相方を買って来た。桜文鳥なのだが、全体の羽が白いので「シロちゃん」と名付けられた。

 まあ、なんとか相性も良かったらしく、いい声で鳴くのでこれで良かったなと思っていたのだが、手乗りの方はまもなく死んでしまい、シロちゃんだけになってしまった。しかし、相変わらず美声で鳴くので家族からは可愛がられていた、そのシロちゃんが今朝、死んでしまったのだ。

 ここ数日の姿は実に哀れだった。飛ぶ気力も鳴く力もなく、自慢の真っ赤なくちばしも薄紫色になり、ただうずくまっているばかりであった。その憔悴しきった日々衰えてゆく姿を見るにつけ、人も老衰で亡くなる時はこんな情けない姿になるんだろうなと思った。見るに忍びなかった。
 カミさんがしたのであろう、和紙にくるまれた亡骸が仏壇に供えてあった。しかし、夕方にはそれはなかった。おそらくどこかに埋めたのだろう。 ネットで調べたら、文鳥の寿命は平均で7年とか。まあ何とか天寿を全うしてくれたのだろう。でも、ウチで飼われたのが果たして幸せだあったのかどうかは、シロちゃんに訊いてみなければ分からない。

 平成18年4月、ひょんなことから墨田区環境審議会の委員を仰せつかってから早や2年、この3月にめでたく任期切れとなる。そして、その最後の審議会が1月30日に行われた。

 寄本会長からの挨拶に続き、墨田区地球温暖化対策地域推進計画(素案)についての事務局の説明の後、計画案に対し出席委員から質問、意見などが出された。そこでのアタシの意見。

 「コツコツ削減(CO2削減のことをローマ字読みでそう呼んでいる)という呼び方ですが、私は分かりやすくてよいと思います。環境問題というとどうしても内容が硬くなりがちなので、多少遊び心を持ってやらないとやっていられない面があります。私もマイ箸を持参していますが、色鉛筆を削った形になっています。
 
 子供のうちから省エネや温暖化の教育をすることは大変有効だと思います。私たちも昭和30年代までは一家団欒で丸いお膳を囲んでいました。買い物は買い物籠を持ち、豆腐屋に行く時は器を持っていかなければ買えない時代を経験していました。
 
 しかし、大量生産、大量消費の時代に慣れてしまうとなかなかそこに戻れません。それを子供のうちから教育しておくのです。それに加え環境ふれあい館とコツコツ削減で、講座や学習事業を子供も含めて実施することも有効だと思います。
 
 また、墨田区に新たにできる新タワーをきっかけに、新しい交通システムをつくるのも良いことだと思います」

というもの。2001年に完成する新タワーの経済効果は計り知れないものがある。

 ところで、ここに来て環境保全課から下の様なFAXが来て、あと2年、環境審議会委員を続けてくれないかとのこと。弱ったねえ。あんまり頼りにされちまっても困るんだよねえ。(笑)9497d642.jpg

 3月6日、『裁判員制度はいらない!大運動』第2回 呼びかけ人・賛同人会議が霞ヶ関の弁護士会館会議室で開かれ、約50人が集まった。
 はじめに佐藤和利弁護士(なんでも先年亡くなった古今亭右朝さんの小・中学校時代の同級生だそうだ)から基調提起があり、その後、福岡、仙台、下関、埼玉、北海道、高松、沖縄など日本全国から集まった弁護士さんや市民団体活動家の方々から運動状況の報告があった。

 休憩を挟んで裁判員制度の問題点、今後の運動方針についての討論、今後の行動提起に移ったが、いやあ皆さん、本当に熱心な方たちばかりで次から次へと手が上がり、様々な意見が論じられた。

 そして最後にこの運動の中核である、つい先日、日弁連会長選挙であと一歩のところで及ばなかった、高山俊吉弁護士からこれからの行動提案がなされた。すなわち
   1、みんなが集会などでの語り部になろう。
   2、街頭宣伝をやる。
   3、広報活動をする。(ネット等の利用)
   4、各団体を回ろう。
というもの。
  そして、4月18日、14時からの日比谷・松本楼、18時からの弁護士会館クレオでの集会に向けて多数の集結を目指し、6月13日、日比谷公会堂での「裁判員制度はいらない!2000人全国集会」をぜひとも成功させようとの決意を新たにした。

 
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 先日3月2日、満60歳、還暦を迎えた。
 その前日の1日には室町・砂場で句会「季記の会」があり、絵師のM氏から、お祝いとして似顔絵のイラストを頂戴した。これをまた、名刺やTシャツに使用しても良いということなのだろう。誠に(シャレじゃないよ)ありがたいことである。だってイラストを描いて欲しい、と仕事として依頼したらいくら取られるか分からない。

 カミさんからは以前からショルダーバッグをプレゼントしてくれると言われていたが、先日の夜、酒を呑みながらTVを見ていたら、隔週刊で「クール・ジャズ・コレクション」というのが出るというCMが流れた。第1週がマイルス・デイビスだというので、「あっ、これが欲しい」ってなことになり、そのCDとCDプレイヤーを買ってもらうことになった。これでジャズが存分に楽しめる。そして、誕生日当日、アンダーシャツを加えての3点セットのプレゼントをもらったのだ。実にうれしい。
 その上昨晩、長男からお祝いとして1万円をいただいてしまった。ちゃんと誕生日を覚えていてくれた。これもうれしい。
                                                                             歳をとってからの誕生日なんてつまらねえと思っていたが、どうやら、そうでもないらしいと思えるようになった。気分を良くしたところで、ぼちぼち確定申告の準備にとりかかることにしようか。4126a89c.jpg
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