2009年10月

 24日、母校東洋大学の日本文学文化学科の授業を受け持った。仕掛人は国文学科の学生だった頃の同級生で、現在、日文文の教授であるN先生である。授業内容は「生きがい・なりわい『伝統文化に生きる』」というお堅いものである。

 午後1時から2時30分までの90分一コマである。N教授のガイダンスによると「落語家の修行・生活」江戸時代以来、今日に至るまで主として庶民の娯楽として人気を博してきた落語。この伝統文化の中に生きる生きがいや苦悩について学ぶ。併せて、落語の歴史にも触れたい、としてある。

 実際にアタシが話した内容は「噺家の日常と生き様、落語界の現状と内情、噺家の歴史」といった物。それだけじゃあ、ただの講義になってしまうので冒頭に落語を一席加えることにした。

 誰にでも分りやすいということで「子褒め」をやったのだが、これが受けない。そういえば、以前、日大の理工学部で「環境落語」をやった時も受けなかった。笑ってはいるのだが、声にならないのだ。やっぱり教室というものはそういうものらしい。

 終わってから、学生食堂でN先生とコーヒーを飲みながら話をしたが、今の学生はみんな真面目らしい。というか我々の時みたいに学生運動のようなものがないので、みんなすべてが平穏なのだ。これがいいことかどうかは分からない。

 雨が降っていたので先生に傘を借り、いったん家に戻ってから、浅草の貞千代旅館に行ってお座敷で10人ほどを前に「目薬」をやった。皆さん食事をしながらだったが、よく聴いてくれて馬鹿ウケだった。学生たちよ、早く大人になってアタシをお座敷に呼んでくれ。その時は笑ってね。

 18日(日)、藤枝市生涯学習センターで上記の催しが行なわれた。メインは地元出身の絵師の村松誠氏のビッグコミックオリジナルの表紙作品展示とトークショーである。そこにアタシの落語を便乗させていただいたというわけ。その他にも消防団ラッパ隊や長唄・日舞の発表会、朝市、抽選会など盛り沢山だ。

 前日の夕方、藤枝入りして村松氏と小学館の担当者とアタシ3人は鮨屋に招かれ、打ち合わせの後、宴会、そしてスナックで飲みなおし。アタシが「金太の大冒険」を歌って大喝采を受け、店を出たのが午前0時頃。

 本番当日、村松氏もやはり飲みすぎのようだ。そして、アタシも500ミリボトルの水をアッという間に飲んでしまった。それでも二人ともいざとなればシッカリしたもんで、トークショーを無難にこなし、アタシも「替り目」を無事口演し、そして、いよいよ立ち上がってのカッポレである。なんせ坐骨神経痛の痛みが不安でならない。

 軸足をすべて左足に換えてヨレヨレながらも何とか踊り通した。拍手喝采。ホッと一安心だ。その後、村松氏と並んでのサイン会。自転車やデジカメの当たる抽選会も終え、すべて終了。そこから村松氏の実家に向かい、小宴会。

 それにしてもここの地元の方々、みんなチームワークがしっかりしていて、人柄のいい人ばかりで、まるで落語に出てくる人物のようだ。特に昨日、わざわざ駅までアタシを出迎えて下さったMさんの奥さん。メールを何度もいただいていたんだが、お逢いしてみて想像通りの方だった。こういう熱心な方々の支えがあればこそ、どんなイベントもうまくいくってもんだ。来年は大祭があるという。

 8日、87回独演会が終わった。9月30日にギックリ腰になり、順調に快方に向かっていた矢先、会の2日前に今度は坐骨神経痛になってしまった。階段も手すりにつかまらないと下りられないという状況。ただ、横になるばかり。これじゃあ、医者にも行けない。カミサンが同じ接骨院に通っているので、そのことを先生に伝えたら、昼過ぎの往診の帰りに家に寄ってくれると言う。

 時間通りに先生がお見えになって、症状を伝え、指圧マッサージをしてもらい、何とか歩けるまでになった。これだけの施術で歩けるまでになるのだから、大した腕である。念のため、松葉杖を置いてってくれたので、これを頼りに医院に向かった。

 独演会のことは前から伝えてあるので、その日までに何とか痛みがなくなるようにと頼んだら、最悪の場合はブロック注射があるという。ただ、非常に痛いというので出来れば避けたい。

 会の当日も治療してもらったが、果たして正座出来るかどうかといった状態。とにかく稽古だけはしなくてはならないので、ベッド上でブツブツとさらう。出かける時間が近づくにつれ、顔が紅潮し、テンションが上がるにつれて痛みが気にならなくなってきた。もうやるしかない。

 腰の状態やら目の衰えのマクラから「犬の目」に入る。痛みも感じずに無事終了。ただ、高座から降りる時の階段が怖い。慎重に降壇。二席目の「火事息子」、マクラで何を喋ろうかで迷い、かなり噛んだので以後慎重に噺を進める。何とか演じ終えたが、満足な出来とまではいかなかった。しかし、二席喋り終えた満足感で良しとしなくてはならない。

 打ち上げは近くのチェーン店の居酒屋。カミサンと娘と友人ら14名。2日間禁酒したので酒の味も忘れてしまったので、日本酒を三本。ほろ酔いで皆と別れ、絵師のM氏とIとで、きょう来てくれたお客さんがオーナーを勤める浅草のスナックに性懲りもなくタクシーで向かった。この日は3曲以上唄ったような気がする。

 

 

 昨日の朝、新聞を取りに行き、ベッドに座ろうとした途端に腰がグニャっとなってしまった。アッ、またやっちまった。ギックリ腰だ。ここんところ、毎年の慣例行事のようになってしまった。去年は12月だった。

 今年は半月ほど前から腰の調子が悪く、整骨医にもかかり治療を受け、先日のゴルフも何とかこなして来ただけにショックも大きい。ああ、また1から出直しだ。朝一番で医者に行くと、隣のベッドには聞きなれた声。カミサンだ。カミサンも6月、救急車で運ばれてから左足の調子が悪く通っているのだ。

 電気針とマッサージを受け、シップを貼ってもらい晒しを巻いて、何とか前かがみにトボトボ帰る。浅草の寄席の出番があったのだが、協会に電話して断る。円朝まつりの反省会も欠席だ。ベッド上に、ただただ横たわる。今日は1日おとなしくしているしかない。寝返りを打つのも容易ではない。

 3日にはすみだまつり、その晩に岡谷行き、8日には独演会がある。しかし、気持ちがすっかり萎えてしまい、出し物を変えることにした。「ぜんざい公社」は次回にやらせていただくことにした。どうかご了承いただきたい。

 歳と共に年々、筋力が落ちて来ているのだろう。あちこち、だんだんと故障箇所が増えてきた。健康診断でも医者から「もう少し歩くように」と言われてはいるんだけど・・・。

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