3月22日
いよいよ家族ハワイ旅行の始まりである。同行するのはカミさん、長女、次女、そして、耳は遠いが、いたって元気なカミさんの親爺様である。何しろ来月90歳になるんだが元気が良すぎる。なお、長男は仕事の関係で休みが取れず断念した。残念。
大きなスーツケース2個を転がしながら、箱崎のエアーターミナルまで歩いて向かう。17時に親爺様と落ち合い、バスで1時間、成田に到着。21時15分の出発までそばを食べたり、本屋に立ち寄って時間を潰す。機内で7時間過ごすためワンカップを2本購入、20時45分搭乗開始、定刻の出発。
機内では「ゼロの焦点」を見る。去年、東宝撮影所でガヤ音の仕事を手伝った作品だったので見られてラッキーだった。食事の時にもらった酒ともども三合の酒を飲んだが、グッスリとは眠れず、ウトウトする間もなく明け方4時15分コナ空港着。現地時間22日、9時15分である。(ここからは現地時間)
レンタカーを借りたが、カーナビの使い方がいまいち分からず、説明を受けるも早口でペラペラやられると聞き取れない。それでも30分かからずにホテルに着いた。部屋は4階で8畳と10畳ほどのベッドルーム、バスルームが2つ、リビングダイニングが25畳ほど、結構広い。それに冷蔵庫からレンジ、炊飯器、食器など台所用品はすべて揃っている。
荷物を置いて、すぐに車で買い出し。スーパーで野菜、肉、ピザなどを買い込む。しかし、日本人はほとんど見かけない。晩ご飯はピザを中心とした出来あいの惣菜。アタシは買い込んだジョニ赤をアイスで楽しむ。みんな寝不足で22時までには就寝。
23日
9時に起床、というと聞こえはいいが、ルームサービスに起こされる。朝食は持参したコメを炊いて、インスタントみそ汁、ベーコンエッグ、それにゆで卵、しかし、黄身がバカに白っぽい。これらをバルコニーですぐ目の前の波の音と変わった鳥のさえずりを聞きながら食べる。何とも優雅である。
午前中はバルコニー下の海岸を散策。とにかく水がきれいなので魚もよく見える。午後は桟橋まで車で行き、ここから船に乗ってホエールウオッチングを楽しむ。30分ほどかけて沖へ向かう。昼食抜きだったので船内のスナックをやたらつまむ。
果たしてクジラはいるのかと心配したが、場所を何か所か変えるたびに潮を吹いたり背びれ、尻尾が姿を現す。しかし、身体全部が現れることはなかった。まあ、こんなもんなんだろうな。
夜は別のホテルの屋外でのディナーバイキングとポリネシアンショー。ここでも白人ばかりで日本人はまったく見かけなかった。ハワイ島というのはこういうものなのだろうか。2時間半、ショーと食事を楽しんだ。
24日
このホテルのトイレはシャワーが付いていないので困る。仕方ないのでバスルームに入り、シャワーを使うのだが、これが手持ちのシャワーでなく固定なので仕方なく仰向けになって両足を広げて局部に当てる。とても他人には見せられないカッコだ。
この日は午前中に買い物に行こうとして、試しにカードキーを差し込んでみると開かない。たまたまそばに営繕係(っていうんだろうな)のおっさんがいたので訳を話すと、このドアキーはもう使えないので、玄関脇のガラス窓を壊すので、そこから這入れという。普通はカードキーを交換するとか考えそうなもんだが、その辺の考え方がどうもおかしい。仕方ないので壊した窓から身体の小さな次女が入り、貴重品を金庫にしまって出かけたが、ドアは開けっ放しに。
午後はマウナケア山からの夕日と星空観測ツアーに出かけた。13時、ホテル前の迎えの車に乗り、日本人3家族11人をピックアップして山頂を目指す。ガイドも日本人なので安心だ。溶岩を眺めたりしながら途中、食事をはさんで18時に標高4200メートル、雲の上の頂上に到着。ここには日本をはじめ各国の天文台が集まっている。間もなく日没になったが、その様が実に美しい。極楽、極楽。
暗くなったところで星空観測となったが、日が落ちるととにかく寒い。なるほど防寒具が用意してあるわけだ。すぐさま防寒コートを貸してもらう。その上、空気が薄いので息苦しい。親爺様は呼吸が苦しいと言って、とうとう車の中から出て来なかった。
空気が澄んでいるからだろう、星がはっきり見える。北斗七星も確認出来た。小学校以来、52年ぶりだ。貴重な体験をさせてもらったが、とにかく疲れた。ホテルに着いたのは23時を過ぎていた。しかし、玄関ドアは開けっ放しのままだ。修理しないのだろうか。
25日
昨夜はホテルに戻るのが遅かったのと、この日は予定もなかったので9時まで朝寝坊を楽しんだ。朝食は定番のバルコニーで冷蔵庫にあるもので済ます。その後、土産物を買いに出かけるため、開けっ放しのドアでは不用心なので、長女がロビーに寄って新しいカードキーをもらってくれた。単に磁気不良でドアが開かなかったようだ。ここんところ、面倒な交渉は長女頼り、大助かりだ。
ドライブに出かけるもやはり、カーナビの使い方がどうも良く分からない。昼食は大きなショッピングセンター内の日本人の経営する店に入る。頭の中で英語を反芻しないで済むので助かる。アタシはメンチサンドを注文、他にパスタ、野菜サラダなど。まずまずのお味でした。
午後は親爺様をホテルにおいて、またも買い物。女どもはホントに買いもんが好きだ。Tシャツやらチョコレートやら、やたら買い込む。アタシはただただ、ブラブラするのみ。夜は長女とアタシの最後の晩なので「アウトバックス」というステーキ店に行き、いやというほど肉を食べた。1人4000円ほどだから安いし、おいしかった。
26日
長女とアタシが日本に帰る当日。いつも通りバルコニーで朝食後、8時半にホテルを出て30分でコナ空港着。大きなトランクの中身はほとんど土産物。しかし、23キロを2.8キロオーバーのため50ドルの超過料金を取られちまった。こんなことなら3キロほどを手荷物にしとけばよかった。もう遅い。
帰りの便は直行便ではなく、まずコナ空港を10時半に経ち、ホノルルで1時間ほど待ち合わせて乗客の乗り換えを待って、13時発で成田に向かう。そのためホノルル空港で1時間ほど時間を潰さなければならない。買い物をしないおじさんには無駄な時間だ。
帰りの機内ではもっぱらゲームの囲碁を楽しんだ。相手は6級程度だそうだが、互先なら勝てるのだが、2目置かせるとどうやっても勝てない。やはりアタシは5級程度の腕前のようだ。それにしても途中、相手から「投了してもいいですか」との表示が出るのでダメの意思表示をすると、その後何目か打ってまた「投了してもいいですか」と出る。あまりに可愛そうなので許してやった。相手の困った顔が見えるようで、いやあ、これは面白かった。
40分ほど早く成田着、リムジンバスで箱崎へ出て、タクシーで自宅まで。カミサンたちは31日に帰る。今度ハワイに行くなら、何としてもゴルフをしたいんだが、そうなると家族と一緒というわけにはいかないか。でも、ゴルフは日本でも出来るしなあ。無理してハワイに行くこともないか・・・。
いよいよ家族ハワイ旅行の始まりである。同行するのはカミさん、長女、次女、そして、耳は遠いが、いたって元気なカミさんの親爺様である。何しろ来月90歳になるんだが元気が良すぎる。なお、長男は仕事の関係で休みが取れず断念した。残念。
大きなスーツケース2個を転がしながら、箱崎のエアーターミナルまで歩いて向かう。17時に親爺様と落ち合い、バスで1時間、成田に到着。21時15分の出発までそばを食べたり、本屋に立ち寄って時間を潰す。機内で7時間過ごすためワンカップを2本購入、20時45分搭乗開始、定刻の出発。
機内では「ゼロの焦点」を見る。去年、東宝撮影所でガヤ音の仕事を手伝った作品だったので見られてラッキーだった。食事の時にもらった酒ともども三合の酒を飲んだが、グッスリとは眠れず、ウトウトする間もなく明け方4時15分コナ空港着。現地時間22日、9時15分である。(ここからは現地時間)
レンタカーを借りたが、カーナビの使い方がいまいち分からず、説明を受けるも早口でペラペラやられると聞き取れない。それでも30分かからずにホテルに着いた。部屋は4階で8畳と10畳ほどのベッドルーム、バスルームが2つ、リビングダイニングが25畳ほど、結構広い。それに冷蔵庫からレンジ、炊飯器、食器など台所用品はすべて揃っている。
荷物を置いて、すぐに車で買い出し。スーパーで野菜、肉、ピザなどを買い込む。しかし、日本人はほとんど見かけない。晩ご飯はピザを中心とした出来あいの惣菜。アタシは買い込んだジョニ赤をアイスで楽しむ。みんな寝不足で22時までには就寝。
23日
9時に起床、というと聞こえはいいが、ルームサービスに起こされる。朝食は持参したコメを炊いて、インスタントみそ汁、ベーコンエッグ、それにゆで卵、しかし、黄身がバカに白っぽい。これらをバルコニーですぐ目の前の波の音と変わった鳥のさえずりを聞きながら食べる。何とも優雅である。
午前中はバルコニー下の海岸を散策。とにかく水がきれいなので魚もよく見える。午後は桟橋まで車で行き、ここから船に乗ってホエールウオッチングを楽しむ。30分ほどかけて沖へ向かう。昼食抜きだったので船内のスナックをやたらつまむ。
果たしてクジラはいるのかと心配したが、場所を何か所か変えるたびに潮を吹いたり背びれ、尻尾が姿を現す。しかし、身体全部が現れることはなかった。まあ、こんなもんなんだろうな。
夜は別のホテルの屋外でのディナーバイキングとポリネシアンショー。ここでも白人ばかりで日本人はまったく見かけなかった。ハワイ島というのはこういうものなのだろうか。2時間半、ショーと食事を楽しんだ。
24日
このホテルのトイレはシャワーが付いていないので困る。仕方ないのでバスルームに入り、シャワーを使うのだが、これが手持ちのシャワーでなく固定なので仕方なく仰向けになって両足を広げて局部に当てる。とても他人には見せられないカッコだ。
この日は午前中に買い物に行こうとして、試しにカードキーを差し込んでみると開かない。たまたまそばに営繕係(っていうんだろうな)のおっさんがいたので訳を話すと、このドアキーはもう使えないので、玄関脇のガラス窓を壊すので、そこから這入れという。普通はカードキーを交換するとか考えそうなもんだが、その辺の考え方がどうもおかしい。仕方ないので壊した窓から身体の小さな次女が入り、貴重品を金庫にしまって出かけたが、ドアは開けっ放しに。
午後はマウナケア山からの夕日と星空観測ツアーに出かけた。13時、ホテル前の迎えの車に乗り、日本人3家族11人をピックアップして山頂を目指す。ガイドも日本人なので安心だ。溶岩を眺めたりしながら途中、食事をはさんで18時に標高4200メートル、雲の上の頂上に到着。ここには日本をはじめ各国の天文台が集まっている。間もなく日没になったが、その様が実に美しい。極楽、極楽。
暗くなったところで星空観測となったが、日が落ちるととにかく寒い。なるほど防寒具が用意してあるわけだ。すぐさま防寒コートを貸してもらう。その上、空気が薄いので息苦しい。親爺様は呼吸が苦しいと言って、とうとう車の中から出て来なかった。
空気が澄んでいるからだろう、星がはっきり見える。北斗七星も確認出来た。小学校以来、52年ぶりだ。貴重な体験をさせてもらったが、とにかく疲れた。ホテルに着いたのは23時を過ぎていた。しかし、玄関ドアは開けっ放しのままだ。修理しないのだろうか。
25日
昨夜はホテルに戻るのが遅かったのと、この日は予定もなかったので9時まで朝寝坊を楽しんだ。朝食は定番のバルコニーで冷蔵庫にあるもので済ます。その後、土産物を買いに出かけるため、開けっ放しのドアでは不用心なので、長女がロビーに寄って新しいカードキーをもらってくれた。単に磁気不良でドアが開かなかったようだ。ここんところ、面倒な交渉は長女頼り、大助かりだ。
ドライブに出かけるもやはり、カーナビの使い方がどうも良く分からない。昼食は大きなショッピングセンター内の日本人の経営する店に入る。頭の中で英語を反芻しないで済むので助かる。アタシはメンチサンドを注文、他にパスタ、野菜サラダなど。まずまずのお味でした。
午後は親爺様をホテルにおいて、またも買い物。女どもはホントに買いもんが好きだ。Tシャツやらチョコレートやら、やたら買い込む。アタシはただただ、ブラブラするのみ。夜は長女とアタシの最後の晩なので「アウトバックス」というステーキ店に行き、いやというほど肉を食べた。1人4000円ほどだから安いし、おいしかった。
26日
長女とアタシが日本に帰る当日。いつも通りバルコニーで朝食後、8時半にホテルを出て30分でコナ空港着。大きなトランクの中身はほとんど土産物。しかし、23キロを2.8キロオーバーのため50ドルの超過料金を取られちまった。こんなことなら3キロほどを手荷物にしとけばよかった。もう遅い。
帰りの便は直行便ではなく、まずコナ空港を10時半に経ち、ホノルルで1時間ほど待ち合わせて乗客の乗り換えを待って、13時発で成田に向かう。そのためホノルル空港で1時間ほど時間を潰さなければならない。買い物をしないおじさんには無駄な時間だ。
帰りの機内ではもっぱらゲームの囲碁を楽しんだ。相手は6級程度だそうだが、互先なら勝てるのだが、2目置かせるとどうやっても勝てない。やはりアタシは5級程度の腕前のようだ。それにしても途中、相手から「投了してもいいですか」との表示が出るのでダメの意思表示をすると、その後何目か打ってまた「投了してもいいですか」と出る。あまりに可愛そうなので許してやった。相手の困った顔が見えるようで、いやあ、これは面白かった。
40分ほど早く成田着、リムジンバスで箱崎へ出て、タクシーで自宅まで。カミサンたちは31日に帰る。今度ハワイに行くなら、何としてもゴルフをしたいんだが、そうなると家族と一緒というわけにはいかないか。でも、ゴルフは日本でも出来るしなあ。無理してハワイに行くこともないか・・・。