2010年03月

  3月22日

 いよいよ家族ハワイ旅行の始まりである。同行するのはカミさん、長女、次女、そして、耳は遠いが、いたって元気なカミさんの親爺様である。何しろ来月90歳になるんだが元気が良すぎる。なお、長男は仕事の関係で休みが取れず断念した。残念。
 
 大きなスーツケース2個を転がしながら、箱崎のエアーターミナルまで歩いて向かう。17時に親爺様と落ち合い、バスで1時間、成田に到着。21時15分の出発までそばを食べたり、本屋に立ち寄って時間を潰す。機内で7時間過ごすためワンカップを2本購入、20時45分搭乗開始、定刻の出発。

 機内では「ゼロの焦点」を見る。去年、東宝撮影所でガヤ音の仕事を手伝った作品だったので見られてラッキーだった。食事の時にもらった酒ともども三合の酒を飲んだが、グッスリとは眠れず、ウトウトする間もなく明け方4時15分コナ空港着。現地時間22日、9時15分である。(ここからは現地時間)

 レンタカーを借りたが、カーナビの使い方がいまいち分からず、説明を受けるも早口でペラペラやられると聞き取れない。それでも30分かからずにホテルに着いた。部屋は4階で8畳と10畳ほどのベッドルーム、バスルームが2つ、リビングダイニングが25畳ほど、結構広い。それに冷蔵庫からレンジ、炊飯器、食器など台所用品はすべて揃っている。

 荷物を置いて、すぐに車で買い出し。スーパーで野菜、肉、ピザなどを買い込む。しかし、日本人はほとんど見かけない。晩ご飯はピザを中心とした出来あいの惣菜。アタシは買い込んだジョニ赤をアイスで楽しむ。みんな寝不足で22時までには就寝。


  23日

 9時に起床、というと聞こえはいいが、ルームサービスに起こされる。朝食は持参したコメを炊いて、インスタントみそ汁、ベーコンエッグ、それにゆで卵、しかし、黄身がバカに白っぽい。これらをバルコニーですぐ目の前の波の音と変わった鳥のさえずりを聞きながら食べる。何とも優雅である。

 午前中はバルコニー下の海岸を散策。とにかく水がきれいなので魚もよく見える。午後は桟橋まで車で行き、ここから船に乗ってホエールウオッチングを楽しむ。30分ほどかけて沖へ向かう。昼食抜きだったので船内のスナックをやたらつまむ。

 果たしてクジラはいるのかと心配したが、場所を何か所か変えるたびに潮を吹いたり背びれ、尻尾が姿を現す。しかし、身体全部が現れることはなかった。まあ、こんなもんなんだろうな。

 夜は別のホテルの屋外でのディナーバイキングとポリネシアンショー。ここでも白人ばかりで日本人はまったく見かけなかった。ハワイ島というのはこういうものなのだろうか。2時間半、ショーと食事を楽しんだ。


  24日

 このホテルのトイレはシャワーが付いていないので困る。仕方ないのでバスルームに入り、シャワーを使うのだが、これが手持ちのシャワーでなく固定なので仕方なく仰向けになって両足を広げて局部に当てる。とても他人には見せられないカッコだ。

 この日は午前中に買い物に行こうとして、試しにカードキーを差し込んでみると開かない。たまたまそばに営繕係(っていうんだろうな)のおっさんがいたので訳を話すと、このドアキーはもう使えないので、玄関脇のガラス窓を壊すので、そこから這入れという。普通はカードキーを交換するとか考えそうなもんだが、その辺の考え方がどうもおかしい。仕方ないので壊した窓から身体の小さな次女が入り、貴重品を金庫にしまって出かけたが、ドアは開けっ放しに。

 午後はマウナケア山からの夕日と星空観測ツアーに出かけた。13時、ホテル前の迎えの車に乗り、日本人3家族11人をピックアップして山頂を目指す。ガイドも日本人なので安心だ。溶岩を眺めたりしながら途中、食事をはさんで18時に標高4200メートル、雲の上の頂上に到着。ここには日本をはじめ各国の天文台が集まっている。間もなく日没になったが、その様が実に美しい。極楽、極楽。

 暗くなったところで星空観測となったが、日が落ちるととにかく寒い。なるほど防寒具が用意してあるわけだ。すぐさま防寒コートを貸してもらう。その上、空気が薄いので息苦しい。親爺様は呼吸が苦しいと言って、とうとう車の中から出て来なかった。

 空気が澄んでいるからだろう、星がはっきり見える。北斗七星も確認出来た。小学校以来、52年ぶりだ。貴重な体験をさせてもらったが、とにかく疲れた。ホテルに着いたのは23時を過ぎていた。しかし、玄関ドアは開けっ放しのままだ。修理しないのだろうか。

  
  25日
 
 昨夜はホテルに戻るのが遅かったのと、この日は予定もなかったので9時まで朝寝坊を楽しんだ。朝食は定番のバルコニーで冷蔵庫にあるもので済ます。その後、土産物を買いに出かけるため、開けっ放しのドアでは不用心なので、長女がロビーに寄って新しいカードキーをもらってくれた。単に磁気不良でドアが開かなかったようだ。ここんところ、面倒な交渉は長女頼り、大助かりだ。

 ドライブに出かけるもやはり、カーナビの使い方がどうも良く分からない。昼食は大きなショッピングセンター内の日本人の経営する店に入る。頭の中で英語を反芻しないで済むので助かる。アタシはメンチサンドを注文、他にパスタ、野菜サラダなど。まずまずのお味でした。

 午後は親爺様をホテルにおいて、またも買い物。女どもはホントに買いもんが好きだ。Tシャツやらチョコレートやら、やたら買い込む。アタシはただただ、ブラブラするのみ。夜は長女とアタシの最後の晩なので「アウトバックス」というステーキ店に行き、いやというほど肉を食べた。1人4000円ほどだから安いし、おいしかった。


  26日

 長女とアタシが日本に帰る当日。いつも通りバルコニーで朝食後、8時半にホテルを出て30分でコナ空港着。大きなトランクの中身はほとんど土産物。しかし、23キロを2.8キロオーバーのため50ドルの超過料金を取られちまった。こんなことなら3キロほどを手荷物にしとけばよかった。もう遅い。

帰りの便は直行便ではなく、まずコナ空港を10時半に経ち、ホノルルで1時間ほど待ち合わせて乗客の乗り換えを待って、13時発で成田に向かう。そのためホノルル空港で1時間ほど時間を潰さなければならない。買い物をしないおじさんには無駄な時間だ。

 帰りの機内ではもっぱらゲームの囲碁を楽しんだ。相手は6級程度だそうだが、互先なら勝てるのだが、2目置かせるとどうやっても勝てない。やはりアタシは5級程度の腕前のようだ。それにしても途中、相手から「投了してもいいですか」との表示が出るのでダメの意思表示をすると、その後何目か打ってまた「投了してもいいですか」と出る。あまりに可愛そうなので許してやった。相手の困った顔が見えるようで、いやあ、これは面白かった。

 40分ほど早く成田着、リムジンバスで箱崎へ出て、タクシーで自宅まで。カミサンたちは31日に帰る。今度ハワイに行くなら、何としてもゴルフをしたいんだが、そうなると家族と一緒というわけにはいかないか。でも、ゴルフは日本でも出来るしなあ。無理してハワイに行くこともないか・・・。

 

 

 

 次女が無事中学を卒業した。卒業式では一人ずつ壇上で証書を受け取るのだが、中には証書を受け取ると同時に「3年間ありがとうございました」なんて大声でのたまう奴がいる。そういう奴に限って、先生をてこずらせた輩に他ならない。担任も「ホントお前には手を焼いたよ」と思っていたに違いない。

 その翌日、20日に国立小劇場で邦楽演奏会というのがあって、次女が見たいと言うので出かけた。次女は部活で三味線をやっていて、興味をもっているようだ。しかし、残念ながら4月から行く高校では三味線をやるような部活はなく、その代わりと言っちゃあなんだが、落語を授業で教えるようなおかしな高校である。

 演奏会は長唄、新内、常磐津、小唄、清元、義太夫など、アタシが聴いてもどこがどう違うのか説明しろと言われても困るようなものばかりである。三味線の棹や撥が違うのは分かるが、声の出し方がどう違うかなど聞いている限りでは区別がつかない。

 次女は途中眠っている場面もあったようだが、地歌の「曲ねずみ」などは鼠が台所を駆け巡るあたりは歌詞集を見ながらだが、内容が面白かったと言うから、連れて行った甲斐があるってもんだ。

 アタシも二つ目の頃に端唄を習ったことがあって、三味線もやってみたが、面白いと思えるまでに至らないうちにやめてしまった。まあ、何かひとつ楽器にさわれるというのは結構なことである。
 22日からは家族ともどもハワイ旅行に向かう。

 11日夜、東洋大白山スカイホールにおいてオール東洋スポーツマンクラブの第1回総会が開かれた。案内によると、この集いは東洋大学のアスリート界の発展と会員相互の親睦をはかることを目的として、去年発足したとしてある。

 この日はゲストとして元プロ野球選手の清水崇行氏の特別講演が予定されていたが、都合がつかず、野球部監督の高橋昭雄氏の講演となった。その後、会長らの挨拶、この会の立役者であるF氏の経過報告、各功労者の表彰があり、この春場所に新入幕を果たした磋牙司関へ校友会から贈られた化粧回しが披露された。

 乾杯後、懇親会に入ってからはアトラクションとして応援指導部のチアリーダーたちの演技が行われた。以前なら学ラン姿の応援団が登場するところだが、それが若い女性のチアリーダーとは、東洋大もずいぶんと変わったもんだ。

 集まった同士は予想を上回る200人ほど。今年は正月の箱根駅伝2連覇ということもあり、懇親会も大いに盛り上がった。そして、アタシはちゃっかりと独演会の常連さんで、まだ会費が未納になっている方々の前に顔を出し、集金して回った。これもきょう出席した目的の一つである。

 中締め後、城東支部の役員のY氏、M氏と白山下途中の焼鳥屋に入った。夫婦でやっている店なんだが、値段も安いし、肴も焼鳥もなかなかのものだ。そのさなかに浅草でスナックをやっているN氏が率いるボクシング部のOBたちがなだれ込んで来た。やっぱりみんな、手頃の店をよく知っている。

 アタシは運動部ではないので、次回からは出席するつもりはないが、東洋大の名を背負った選手たちには、これからも大いに頑張ってもらいたいものだ。フレー、フレー、トーヨー。

 

 3月7日(日)、板橋区立熱帯環境植物館に行って来た。都営三田線高島平駅から歩いて6分ほど。外観からも大きな植物群が見て取れる。入場料は220円だが、アタシは仕事で来たのでもちろんフリーパス。

 中を見せてもらうと、当たり前の話だが、熱帯植物がうっそうと繁っていて梅雨時のようにモアッとしている。池の魚もヒレのあたりがオレンジ色のような鮮やかな色をしていて、見ているだけでも楽しい。

 そのほか、深海魚もいるのだが、高足ガニやらプラスティックじゃないかと思われるような真っ赤な小エビがいたり、子供を連れて行ったら喜びそうだ。でも、これだけのものを維持するのも大変だろうな、とも思う。

 さて、仕事の方は地下のホールでの落語会。前座が二人いて明治大の落研OBなんだそうで、単なる落語ではなく、最初が床下詐欺、次がオレオレ詐欺と、高齢者向けの詐欺に引っ掛からないよう啓発する落語なのである。そして、アタシの環境落語。

 お客さんは30名ほど。内容が内容だけにこんなもんだろう。それに環境落語というと、どうしても関心のある方々しか集まらないんだが、今回はごく普通にふらっと寄ったといった感じの方ばかり。特に年配のご夫婦連れが目立った。その上関心のない方たちでもこんなに受けるのかと思うくらい、よく笑っていただいた。

 単に環境と冠した施設だからということでお声をかけていただき、歓迎していただいて、こんなにありがたいことはない。ああ、そういえば帰りにアタシのサインが欲しいと長いこと待っていた女性には悪いことをしちまったなあ。いつもは環境落語だと地方から遠路はるばる帰って来ることが多いんだが、この日は小一時間で帰って来ることが出来た。

 6日、句会「季記の会」があった。数えて72回目である。この会はイラストレーター、画家、漫画家など絵を描く仕事の方が多い。そして、この日の会場は銀座8丁目のかに道楽。リニューアルしたばかりとかで、廊下もピカピカだ。出席者は12名。この日の兼題は[蜆(汁)」と「勿忘草」、席題は「春一番」であった。料理はかに尽くしということなので、ここは日本酒でいくことにした。

 アタシの句 「荷造りを終へて下宿の蜆汁」

       「勿忘草空中庭園新団地」

       「春一番打ち出し太鼓川渡る」 華楽

 1句目、下宿にしようか寮生にしようか迷ったが、老夫婦がやっている下宿のイメージにしたのが良かったのか、天に抜いて下さった方が4名。何と4本の短冊が集まった。今までのアタシの最高点だろう。

 ダントツのトップなので次回幹事は免れると思ったら、この日の幹事が2位になったので、次回幹事となってしまった。この会はその日の幹事2人のすぐ上位の点数の人が次回幹事となる決まりである。そして、もう一人はこの日、絶不調の村松宗匠。

 なお、アタシが天に抜いた句は

       「指切りは勿忘草の咲く小径」 梢女

 次回は7月、宗匠との幹事コンビとあいなった。相方としては申し分ない。

        

 

 

 

 

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