2012年03月

 2回目となる「落語物語」寄席が終わった。当日は朝から雨模様で1日中しとしとと降り続いていた。開演は午後6時45分なのだが、後日の落語会申し込みのために受付時間締め切りの5時少し前に出向いた。このところ、深川江戸資料館へは歩いて行っている。

 申し込みを済ませてから、近所をうろついて打ち上げに使えそうな店を物色した。この辺は打ち上げに向いた店がなくて以前から困っていた。地元に住んでいるYさんに教えてもらった串揚げの店ともう1軒、料理屋をのぞいてみたが、料理屋の方は昼間はそば屋として営業しているようなので、遠慮した。

 串揚げの店に跳びこんでみたが、あまり広くはないが大阪の串揚げ専門店のようなので、今までとは違った感じの雰囲気なので使ってみることにした。店長の話ではここは地元のS師匠が打ち上げによく利用しているとのこと。串揚げと野菜サラダなどが主な料理となるらしい。

 会場に戻るともう気の早いお客さんがロビーで談笑していた。6時半開場なのだが、準備が早く済んだというので20分に開けてもらうことが出来た。ここは江東区の施設なので普段は時間通りでないと開けてくれない。顔なじみになると多少の無理がきくようだ。

 お客さんは6割の入り。当初は半分くらいかと心配していたので、一安心だ。反応もまずまず、無事終了した。打ち上げは今回が利用最後になりそうな焼き鳥屋。10名の予定が2名オーバーしたが、何とか全員座ることが出来た。ビッグコミックオリジナル「どうらく息子」の作者のO先生もご参加いただいた。

 その後、11時をまわってから両国ガード下の飲み屋に行ったのだが、誰が一緒だったのか、ここから記憶がなくなってしまった。
 アタシの酒とかけて、義経千本桜ととく。そのココロはシズカにタダノブ。 ホントかね。

 

 

 

 毎週土曜、日曜に落語協会2Fで行なっている黒門亭の番頭をしていた時のこと。楽屋にいたK時とK太夫がある師匠の評判をしていた。しばらくアタシも聞き入っていたのだが、だんだん話を進めていくうちに、アタシも参入した。すると次から次へと出るわ出るわ、話が尽きなくなってしまった。こんな風にアタシらの楽屋談義はある特定の師匠の話になると、止まらなくなることがある。

 さて、黒門亭が終わってから、すぐに地元の両国に戻り地元寄席へ。前座の好吉は楽屋にいたのだが、二つ目の志ん吉は楽屋の入り口が分からず、入り口でたたずんでいた。すぐに楽屋に案内して準備しているうちに、受付をするウチの娘もやって来た。

 この会も今回で7回目だが、なかなか黒字にならない。儲けるためにやっているわけではないんだが、もう少し何とかしないといけない。それでも今回は志ん吉が6名のお客さんを呼んでくれたので、ようやく30名近くになって、何とか形になった。でも、半分以上が招待客なんだよなあ。

 終わって、娘と食事でもと思っていたのだが、末広亭へ一之輔の二つ目最後の高座を聞きに深夜寄席に行くのだという。近頃の深夜寄席は寄席本席の入りよりはるかに多く、150人以上が入る。アタシらの時はせいぜい30人位だったから夢のようだ。

 アタシはセブンイレブンに行って、酒の肴として煮込みと餃子を買い込んで家で1人、無事に地元寄席終了の祝杯を挙げた。
 乾杯はしたが完売ほど遠い 華樂

 

 東洋大落語研究会の後輩のRから牛肉が送られて来た。いつも1月の独演会の時に花束を送ってくれていたのだが、今年は送れそびれて今月になってしまい、ちょうど方々から頼まれた牛肉を発送するついでにアタシのとこへも送ってくれたとのこと。大歓迎だ。

 もう20年以上前になるだろうか、地元、村上の塩引き鮭を送ってくれたことがあったのだが、残念ながらウチの家族は誰も食べなかったので、以後はお断りしたことがあった。その後は「赤い酒」などを送ってくれたこともあった。

 Rが落研にいたころは女子会員が大勢いた華やかなりし頃でRもその一員だった。その後、地元へ帰り結婚し、今では孫がいる。去年の年賀状に「いいオバサンになっただろうな」と書いたら、「もう小学生の孫がいるんだからオバサンじゃなくて、いいババアですよ」という返事が返ってきた。

 さて、その晩はその肉をすき焼きにして、家族でおいしくいただいた。Rさん、ごちそうさんでした。すぐに礼状を書いたが、そこには来年の100回記念の独演j会が1月16日、深川江戸資料館で行なわれることをしっかり書いておいた。

 すき焼きとかけて、若い女性に囲まれた満員電車ととく。そのココロはギュウ、ギュウでうれしい限りです。

 

 岐阜の落語会に行って来た。もう40年以上続く老舗の落語会である。新幹線で名古屋に行き、乗り換えて20分で岐阜に到着。のぞみなら3時少し前に乗っても日帰りができる。それだけ新幹線は本数が多いわけで、東京駅のホームは大変な混雑だ。

 岐阜駅には迎えの世話人さんが待っていて車で10分ほどで会場に到着。文学博士のS先生に迎えられる。大抵の噺家がお世話になっている先生である。すぐにうどん定食なるものが運ばれて来たが、開演直前だったので、うどんだけでご飯は食べずにおいた。

 開演前に楽屋に東洋大校友会岐阜支部の会長、副会長さん、正月お世話になった多治見のW氏の面々が訪ねてく下さった。まさかお出で下さるとは思っていなかったので、いささか驚いた。何にしてもありがたいことだ。

 初めに岐阜大の落研の学生が「だくだく」を演じて、その後にアタシが「無精床」「替り目」を50分ほどしゃべる。お客さんは会場一杯の100名ほど。高座が結構高いので、暖房のあったかい空気が上にたまり、かなり暑い。アタシは顔にはあまり汗をかかない方なのだが、体にはかなり汗をかいた。熱演である。へへへ。

 仲後はS先生の「はなし」をはさんで、その後「一分茶番」を45分ほどやって無事お開き。みやげに会場の宣伝用に作ったアタシの名入りの幟をいただく。これはなかなか気が利いたおみやげである。こんなことなら、もっと早くに呼んでほしかったと思う。いろいろ使い道があったのに。

 帰りはタクシーを呼んでくれたので駅前のコンビ二の前で停めてもらい、ワンカップ2本とサンドイッチ、つまみを買い込む。名古屋で乗り換えて新幹線はグリーン車なので、隣には誰も来ずゆったり、ちびちびと酒を楽しむ。こういうのを至福の時と言うのだろう。すっかりいい心持でご帰還とあいなった。

 ゴルフの帰り、新幹線内の通路でパターを持ち出して、パッティングの練習をしていたB師匠。車掌が注意すると、「いいんだよ。ここはグリーンだから」。
 

 8日、春風亭一之輔の真打昇進披露パーティーが帝国ホテルで行なわれた。21人抜きの大抜擢である。アタシの兄弟子、故春風亭柳朝師匠の孫弟子に当たるのでウチの一門ということになる。午後7時開宴。       

 アタシたちのテーブルは10人掛け。右隣は志ん輔師、左隣は扇遊師の同期である。馬桜師のかみさんもいたが、彼女はウチのかみさんの妹の高校時代の同級生である。ところが、正面に源平師がいる。最初はおとなしかったが、酒が進むにつれていつも通りの大声でわめく。佐野の7・11店長のN並みである。うるさいことおびただしい。周りはみな無視。

 司会進行は玉の輔と木久蔵。案の定ひどい。玉の輔はやたらカムし、木久蔵は場面にあったコメントがまるで出来ない。まあ、いつものことだけど、それにしても、、、。もっとも、仲間はみんなバカ受けで大喜びだった。後にいた漫才のかおりねえさんの喜ぶこと、喜ぶこと。

 余興で面白かったのは平治、円満のものまね。特に平治の柳昇師の真似にはみな笑った。市馬の唄は相変わらず大喝采。だが、ポカスカジャンはただうるさいだけで、馬風師も苦虫をかみつぶしていた。挨拶は木久扇の彦六のまねが秀逸。でも、知らない人は何であんな声を出すのか分からなかっただろう。

 3時間のパーティーがお開きになってから、銀座の隠れ家Aに。木曜だったのでKちゃんがいた。食事は済ませたので軽く飲んで帰宅。久々の楽しいパーティーだった。
 この日の披露宴とかけて、霧に包まれたスカイツリーととく。そのココロはとにかくシカイがひどすぎる。

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