2012年08月

 第3回落語四派深川亭が終わった。今回の番組は「片棒」立川談幸、「王子の狐」林家時蔵、「花筏」三遊亭兼好、「大工調べ」桂米福といった番組。暇な2月と8月にやろうと始めた東京の落語四派の会だが、どうもお客さんの入りがもうひとつ。

 来年の2月をもって最終回となる見通し。みな1回ずつトリをとったことになるからだ。だいたい、最終回となるとお客さんが入るというのが定説になっているが、果たしてどうだろう。期待を裏切って、最後まで不入りとなるのか、今から楽しみだ。

 この会はメンバーが揃って打ち上げということが一度もない。今回もみなバラバラに打ち上げをやったようだ。もっとも、みんなそれぞれお客さんを呼んでいるので、一緒にやれるような大きな会場がないというのも確かだ。アタシは帰りに飲むようなお客さんが誰も来なかったので、長女とまた差し向かいだ。

 この頃良く利用する串焼き屋に行った。また、2人でホッピーだ。串焼きの盛り合わせと奴豆腐、煮付け、きゅうりの一本漬け、だいたいいつものパターンとおんなじ。まあ、気楽にああでもない、こうでもないと他愛のない話をして仕上げに酎ハイを飲んでお開き。 この店からは車がワンメーターで家まで帰れるので楽だ。きょうもご機嫌でご帰還あそばした。

 落語四派深川亭とかけて、野田政権ととく。そのココロはもうすぐ終末を迎えます。

 毎月第4水曜日は松丘亭寄席である。出演者は愛山、蝠丸、鯉昇、右左喜とアタシの真打5人と前座である。木戸銭は当初500円以上ということであったが、この4月から1000円以上になった。木戸を上げて欲しいというのはアタシが以前から主張していたことで、やっと念願が叶ったわけである。お蔭で木戸銭箱に500円玉が入っていることもなくなった。

 この会はもう27年ほど続いていて、当初は二つ目だった演者も全員真打となった。とにかく毎月なので、出し物は先にやった方の勝ちである。だから、きょうはこれしか出来ないという時は、「きょうはこれをやりたい」と宣言しておくのだ。そうしないと先にやられる場合がある。

 ついこの間も、こんな噺は誰もやらないだろうと出番を待っていたら、まさにその噺を先にやられてしまったことがあった。他に出来る噺がある時はいいが、そうでない時は本当に困る。時には明日、その噺をやらなければいけないので、どうしても稽古しておきたいという場合もある。そんな時は宣言してしまった方がいいわけだ。特にこの時期は怪談噺が出ることが多いので、ここ2,3ヶ月はその類の噺が続く。

 終わって、宴会があるのだが、ほとんどのお客さんが残る。それもお酒はお寺からのご好意と皆さんが持ち寄ったものでやるわけだから、飲み代もかからない。だから、酒の飲める人はほとんど残るわけである。でも、この節では宴会の時間も1時間ほどで切り上げるようになって来た。いいことだ。

 けれども、その後、有志数人で駅前のスナックHに行くことが多くなった。ここには外語大のアルバイトの女の子がいて、おっさんたちの歌のデュエットに応えてくれる。この晩も請われるままにアタシゃ3曲も歌ってしまった。こうして毎月、第4水曜日の夜は更けていくのである。

 

 「ラ・マンチャの男」を帝劇で観て来た。娘からの誘いなのだが、この間娘を東京ドームへ誘った時、ドタキャンをくらったのでどうしようかと思ったが、おとなしく出かけた。ミュージカルは初めてではないが、久しく見てない。席は1階の後方。

 とにかく、松たか子の演技と歌が際立っていた。それに幸四郎の身の軽さ。舞台の中央に事あるごとに長ーい階段が降りて来るんだが、それを軽やかに上り下りする。普段から体を鍛えていることがよく分かる。とても古希を過ぎたようには見えない。いやあ、高麗屋さんの元気なのには恐れ入りました。

 カーテンコールが何度もあって、幸四郎が歌まで披露したが、どうもアタシはこのカーテンコールというのが苦手だ。一度幕が閉まったら、お客様とは顔を合わせたくないのだ。これは他の仲間も同じだと思う。これが江戸前だろう。でも、最近はアタシもお客さんをお見送りしたりしている。しかし、これはお土産などをいただいたお客様に礼状を書かなくて済むからやってるようなものだ。

 はねてから、新橋まで歩く。行きつけの、と言っても年に2,3回しか行かないような店なのだが、やきとんのMに行く。いつも表で串を焼いているのは高校時代の同級生である。しかし、この店はいつ来ても繁盛している。それも女性客の多いのが目立つ。

 この店に娘と来るのは2度目だが、いつも注文するのは決まっていてやきとんの盛り合わせ、みそキャベツ、煮込みの豆腐だけ、なすの一本漬けなど。盛り合わせは5本なのだが、同級生がいつもサービスしてくれて7本出てくる。このやきトンが実にうまい。からしを付けて食べる。

 アタシが黒ホッピーを注文したら娘も同じでいいと言う。アタシはホッピー1本で中身だけを4杯。娘は3杯。いい加減心地よく酔ったので帰ろうとすると、娘が仕上げにもう1杯飲みたいという。仕方なくライムハイを追加する。いやどーも、酔っ払いの相手をするのも大変だ。

 高麗屋とかけて、高級家具店の椅子ととく。そのココロはとにかくキャクアシがすばらしい。

 8月11日は円朝忌である。去年までは円朝まつりを全生庵で行なっていたので、まつりの中に繰り込まれていたが、今年から円朝まつりは場所が防災広場に移ったため、以前のように命日に行なわれることになった。まあ、本来のやり方に戻ったわけで、この方がいいに決まっている。

 そろいの浴衣で協会員は9時半に集合。10時から本堂で読経が始まり、その後は正雀が二代目円生作の「累草紙」を口演した。それから表へ出て落語協会、落語芸術協会の会長の挨拶に続いて、扇子供養と称する扇子のお焚き上げを行なった。

 その後、時間のある人は別室でそばや木村屋のへそパンなどで食事をしたんだが、アタシの隣に座った燕路は食事はそっちのけで西瓜ばかり7切れも食べていた。こんな西瓜っ食いは珍しい。何らかの理由で家では西瓜を食べさせてもらえないんだろう。

 省線で両国まで戻り、浴衣を脱いで図書館へ。円朝忌にあわせて演芸研究家の瀧口先生の円朝に関する講演があるのだ。そして、最近の研究で二葉町の円朝の住まいの場所や落語発祥の地が下谷神社ではなく、田原町駅近くの寺であることなど新たな事実が明らかにされた。いやあ、勉強になりました。

 夜は浅草の行きつけのスナック、Wがまもなく店を閉めるというので「さようならW寄席」と銘打って一席。カミサンと娘を加えてお客さんは25名ほど。ほとんどは城東支部の役員や父兄会・甫水会の面々である。「代書屋」を30分ほど。その後は飲めや唄えの大宴会。この店がなくなるとホント寂しくなる。

 終わって、カミサンと娘は腹が減ったというので車でHへ向かう。この店はとにかく安いというので、ウチの家族のお気に入りだ。といっても最近通い始めたばかり。軽く飲んで食事して3千円チョット。帰りに7・11で買い物をして、やっと長い1日が終わった。

 円朝まつりのちんちろりんとかけて、9回裏で同点に追いついたチームととく。そのココロはエンチョウで勝負します。

 今年の円朝まつりは場所を防災広場・初音の森に移して行なわれた。といっても去年までの会場の全生庵の本堂の真裏に当たる処である。去年までの本堂のスペースに比べればとても比ではない。とにかくグランドのよう場所である。前々から場所を移したほうが良いと主張していた願いがやっと叶った。

 前日に物販部長としての勤めとして下見に行ったのだが、砂埃がひどい。まあ、グランドだからしょうがないか。そして、当日は例年通り自転車で出かけようと思っていたんだが、カミサンが実家から車を借りて来ていたので、現場まで送ってくれることになった。ラッキーだった。

 今回は娘が最初から手伝ってくれることになっていたので、3人で乗り込み、途中、コンビニで弁当を買い込んで車内で食べる。8時過ぎには着いたのだが、実行委員長の世之介から「遅い」と小言をくらう。すぐに前日送っておいたTシャツと景品のダンボールを開けて自分のブースへ運ぶ。これが一苦労だ。すでに汗だく。

 8時半から全体ミーティングなどあり、なかなか自分の店の準備が整わない。娘に指示して9時開門に間に合わせようとしたが、間に合わず。最後に草むしりをやらせて、開店にこぎつけたが、開門と同時に客が押し寄せてくるので、少し待ってもらって何とか事なきを得た。

 今年の目玉は人形町末広の下足札。アタシが学生の頃、末広最後の日にくすねて来た品である。これは予約されていたので、その当人にすんなりと手渡した。あとはB師匠の3点セットやK師匠の風呂敷など、アッという間になくなった。当初はお宝の販売が主で、ちんちろりんまで手が回らない。

 落ち着いてからはいつものちんちろりん。娘と2人だから息抜きが出来て、気も楽だ。いつもは手をつけないお客さんからの差し入れのビールも、この日はおいしくいただいた。それでも去年は熱中症にかかったので、水分と塩分はたっぷり摂るようにした。

 例年通り、独演会のお客さんやら理科大落研のOBやら娘の友達、その他この日にしか逢えない大勢の方々が 
押しかけて下さった。誠にありがたいことである。それもこの暑さの中だから、ホント頭が下がる。今年も大成功だった。

↑このページのトップヘ