2012年09月

 第10回の地元寄席が終わった。今回は夜でなく土曜の午後にやってみたが、お客さんの数は変わらず。来年からは日暮里サニーホールでの独演会を年4回から6回に増やすので、この会は今年いっぱいで閉めようと思っている。何しろ地元寄席とうたってみたが、あまり地元の人が来てくれない。

 そのかわりと言っては何だが、来年3回の予定で「落語四天王」という会を立ち上げようと思っている。これは2つ目の頃にやっていた「白波五人会」の生き残りのメンバー4人でやろうと企んでいるんだが、みんな還暦を迎えて芸も佳境に入ってきて、いい噺を聴かせてくれるのではないかと思って、今から楽しみにしている会なのである。

 4人ともほぼ同期で一緒に楽屋で苦楽を共にした仲間で、カミサンよりも古い付き合いの連中である。師匠の名前を継いだ十一代目・金原亭馬生、去年師匠を亡くした立川龍志、師匠は現在病床にある入船亭扇遊、それにアタシといったメンバーである。

 場所は現在、地元寄席として使っているお江戸両国亭で、そのままやってみようと思っている。土曜か日曜の昼間を予定していることで、それぞれに仕事の入る可能性の高い日をわざわざ押さえてもらうので、せいぜい集客をしっかりとしないといけない。果たしてどうなるか。

 それに来年はアタシの独演会100回記念と芸人生活40周年の節目の年となるので、アタシとしても気合を入れて臨まねばならない。せいぜい良い年にしたいと今から思っている。また、鬼に笑われそうだ。

 

 林家三平師匠の三十三回忌法要があった。帝国ホテル孔雀の間に850名が集まったという。11時半から折り鶴による献花ならぬ献鶴が行なわれた。アタシは会場で各自が折り鶴を折って、それを献上するのかと思ったら、あらかじめ折ってあったので助かった。一緒にいた両国中学の同級生雲助師匠から「いちいち折っていたら、いつまでも折れずにもたもたする奴が必ずいるだろ。だから、折ってあるんだよ」と言われて納得した。

 しかし、来賓の方々が後を絶たず、ぞろぞろ延々と続く。全員が会場内に入るのに小一時間かかったろうか。アタシらは比較的早くに入ったので、全員が入場するまでテーブルの前で立って待つのみ。食事時だけにみんなお預けをくらってブツブツ言っていた。

 やがて、みのもんたの司会で開宴。浅草演芸ホールの会長の発声で献杯をし、食事が始まった。アタシらは鮨の屋台のすぐそばに陣取っていたので、まずは鮨から始まって、天丼、ローストビーフ、焼きそばなど手当たり次第に食べたら、ここで腹いっぱいになってしまった。仕上げにショートケーキとコーヒー。

 1時半を過ぎたところで立っているのもつらくなって来たので、そこで中座させてもらった。家に帰ってテレビを見たら、その後に来賓の挨拶が何人かあり、泰葉のピアノ弾き語りもあったようだが、アタシの見た限りでは小朝師の姿は見えなかった。

 今年は東洋大学が創立125周年を迎えるため、様々な行事が控えている。125周年記念の建物も急ピッチで進んでいる。大学祭も11月2,3,4日に予定されているが、125周年にちなんだ発表もあるようだ。そのうちの1つになるんだろうか、卒業生の中から125人を選んでインタビューをして、その内容を発表するという企画があるんだそうな。

 アタシのところにも芸能人協会を通して学生がやって来た。社会学部3年のMさんという女子学生で、わざわざ家まで訪ねて来てくれるという。2人くらいで来るのかと思いのほか、一人で来たということなので、家に上げて1対1になってはまずいと思い近所の喫茶店へ。

 学生当時の思いや、今の学生に言いたいことやら、これから先、何をしたいかなど1時間ほど質問された。そして、最後に座右の銘などあったら、ボードに書いて欲しいとのこと。色紙なら何でも思ったことを書けばいいのだが、これはむずかしい。何も思いつかず、結局、「笑門来福」という当たり障りのないものになってしまった。

 「芸は人なり」というもっともらしいことでも良かったが、やはり、自分にふさわしい座右の銘といったものがあった方がいいに決まっている。これからは心がけたいと思う。 
 以前、夢之助師匠のプロフィールに両方1.0というのがあったが、何かと思ったら、どうやら「左右の目」と間違えたなんというとぼけたコメントがあったっけ。

 円朝まつりの反省会を行なった。去年までの10年間、谷中の全生庵で行なってきたが、境内という狭い空間の中だったため、何か事故が起きてからでは遅いというので、今年からは初音の森防災広場で行なわれた。とにかく、広場だけにだだっ広すぎると思っていたが、舞台をしつらえ店舗が並べられるとそれほどでもなかった。

 ただ、風が吹くと砂埃が舞って、これが今回の反省会でも一番の問題だと指摘された。時折、水を撒くのだが、焼け石に水の状態で水はけがよく、すぐ乾いてしまう。そこで来年はどうするのかということになったのだが、併設のコミュニティーセンターが建て替えとなるため、ここでは出来ないらしい。

 センター内にトイレがあり、また休憩所や救護所をかねているため、どうしても必要となるのだ。かといって他に代替施設があるわけでもなく、地域の商店街を巻き込んでの大イベントが出来る場所はそうそうすぐに見つかるわけがない。仕方ないので、もう少し様子を見ることになった。

 アタシの「ちんちろりんの店」は店の前に雑草が一面に生えていたので、砂埃もそれほどたたず、ちょうどいい案配だった。はなは鋏で全部刈り取ってやろうと思っていたくらいだが、お客さんが大勢駆けつけて下さったので、踏まれて草は真っ平らになってしまった。これはありがたかった。

 さて、来年はどういうことになるのか分からないが、どこか適当な場所を見つけて、何とかまた大騒ぎをしたいものだ。そうでないと手拭い、扇子などの在庫の多くをまだ大量に抱えているので、こちらとしても困るのだ。

 東洋大校友会愛知県支部総会に出席して来た。支部創立115周年という伝統あるヨイショある、じゃない、由緒ある支部である。アタシは今回も前週に続いて「井上円了物語」の一席である。会場は名古屋市内のホテルである。参加者は35名ほど。どこの支部もそうだが、やはり若手の獲得に苦戦している。

 総会の段取りに予想以上に時間がかかったようで、かなり時間が押していたので、ちょいとつめて一席勤めた。終わって宴会。時蔵Tシャツも売れ行きよく完売。ありがたい。その後、外へ出てご婦人のいる店へ。楽しく飲んで騒いで幹事の方にアタシのホテルまで送っていただいた。

 あくる日は大須に行きたいと思っていたので、大須観音近くのホテルを選んだ。このホテルはチェックアウトが正午というのがありがたい。ゆっくりさせていただいた。外に出てまずは大須観音にお参り。この街はちょうど東京の浅草のような雰囲気でアタシの好きな処だ。

 そして、大須演芸場へ。表の看板を見ると「東京から橘家竹蔵」としてある。シメシメ。すぐに携帯に電話する。「今、表にいるんですが」と伝えると、すぐに出て来てくれた。席亭を紹介されて、楽屋の中へ。初めてである。竹蔵師匠はここの楽屋に10日間、寝泊りしている。

 実は30年ほど前、亡くなった柳朝師匠とこの大須演芸場に出演する話がまとまっていたのだが、師匠が病に倒れて、その話はぽしゃってしまった。それが良かったのか、悪かったのか、未だに分からない。そんないわくつきの小屋である。そこに初めて足を踏み入れたのであるが、かなり、年期のはいった小屋である。

 竹蔵兄さんの出番が終わってから、食事に誘われた。名古屋らしくひつまぶしをご馳走になる。本場の味であるが、アタシは関東のうな重の方が好きだ。日曜は3回公演とのことなので、竹蔵兄さんはそのまま楽屋に戻って行った。アタシはそこから地下鉄で名古屋に出て、新幹線の中でゆっくり寝て帰って来た。

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