2013年09月

 「チャリティ和一寄席」が終わった。これはアタシのスポンサーのA氏が仕掛けたもんなのだが、寄席で目の不自由な方が聞けない噺を特集した会である。というのも、寄席では目の不自由な方が入場すると、すぐに木戸から楽屋に連絡があり、目に差し障りのある噺は封印されるのである。つまり、目の不自由な方は寄席ではその種の噺は聞けないシステムになっている。
 

 しかし、目の不自由な方でも、そのような噺を聞きたいという方が多いのも事実なのである。そんな方のために今回は行なったものである。だから、アタシの予定表にも目の不自由な方のための落語会と書いておいたのだが、そうしたら、目の不自由な人しか入れないのですか、と問い合わせがあった。むろん、そんなことはない。

 噺は「麻のれん」「景清」「杉山検校」「心眼」とすべて目の不自由な方が主人公のものである。こんな会はおそらく、今までになかったであろう。それだけにどうなるものかと出演者も気を揉んでいたが、取り越し苦労だった。とにかく、目の不自由な方の方がよく笑っていただけたからである。

 会場の入りもほぼ満員に近い状態で大成功と言って良いだろう。チャリティとうたっていたので、出演者にも報酬の点では泣いて頂いたが、皆、納得して頂けたはずだ、とアタシは思っている。この種の会は仲間の協力と理解がなくてはやれないだけにありがたい限りだ。後輩の諸氏に感謝である。

 

 第7回どうらく息子寄席が終わった。今回は作者の尾瀬あきら先生にもご参加いただいてアタシとの対談も行なわれた。他にはぴっかり、彦丸、三三といったメンバー。大体、お客さんも定着して増えもせず減りもせずといったところ。

 いつもは先着予約50名様に尾瀬先生のサイン入りコミック本をプレゼントしていたのだが、前回、先生がお休みでお客さんも減って赤になってしまったので、今回は30名にしてみた。でも、相変わらず常連さんはいつも通り、早めに予約して来る。常にアタシの予定表を見ているのだろう。

 この会はいつも最後に抽選会を行なっていて、その目玉は尾瀬先生の色紙である。「どうらく息子」の主人公を描いたものなのだが、これはアタシだって欲しいくらいの逸品である。出演者の手拭いも評判がいい(と思う)。他にお客さんがいつも提供して下さるペン立ても1個は家に置いておきたい。今度、1個くすねることにしよう。

 次回は2月だが、今度が最終回になる模様である。小学館の都合なのだが、誠に残念である。漫画の方は3年半になるそうだが、まだまだ続く見込みである。我々にとっても身近な題材のコミックであるだけにいつまでも続いてほしい。尾瀬先生は道楽で描いているわけではないのである。

 岡谷でのひょうたん寄席が行なわれた。アタシは3回目だとばかり思って、予定表に第3回と書き込んだら、世話人から4回目だとお小言をいただいた。これはまずかったな。新宿からあずさで岡谷まで2時間半なのだが、この日は人身事故とかで1時間以上待たされてしまった。でも、本来向こうに着く時間が早すぎる位だから、ちょうど良かった位だ。

 駅到着後、まずはいつものF先生宅に向かう。先生の仕事が終わるのを待って、車で高級料亭に向かう。本来、この日は店が休みなのだが、あえて定休日に落語会をやろうという店の希望なのである。普段は宴会場としている2階に高座を作って、座布団を並べるという、噺家にとっては、おなじみのお店落語会である。

 初回は80名のお客さんを目いっぱいに入れてしまい、不評をかったので、現在は60名で行なっている。この日も定員一杯の入りである。ありがたいことだ。とにかく、この節はお客を集めるのがホントに大変。ところが、この店の大将はちゃんと客を呼んでくれる。大したもんである。

 初めに「無精床」をやり、一席終わったところで席亭のS氏がお客さんにごあいさつ。その後、「居酒屋」をマクラだくさんにして長めに一席。これでちょうど1時間。すぐにテーブルの設置をして、本来の宴会場に早変わり。協賛して下さるK酒造の社長さんもお見え下さった。そして、土産に大吟醸酒をいただいた。前回は1升ビンだったが、今回は4合ビンなので、当然持ち帰ることにした。ありがとうございます。何よりの土産です。

 お客さんにお酌をしながら、さり気なくCDの販売もする。もともとCDを出そうとしたきっかけは、この会の世話人の1人であるT女史からの一言だったのだ。当然、彼女も買って下さった。そして、「2枚目はいつ出すの?」などと挑発してくる。ありがたいけど音源やら、初めの諸費用など、いざとなると大変なんですよ。でも、何とかもう1枚出したいね。

 宴会も終わって、いよいよ我々の宴会のためJに向かう。ここのママさんは料理上手でちょいとした物をさり気なく出してくれる。この日は栃尾の油揚げ料理が良かったな。こうして、酔っぱらいの相手をしながら、こっちも酔っぱらって、いつもの先生宅のホテルFにてご就寝。

 新しいパソコンが入った。といってもアタシのパソコンではない。パソコンがなくて困っていたのを見かねてカミさんがせがれと家電量販店で買って来たのだ。今のところは使用料いくらとか言って来ないが、そのうち何らかの請求をしてくるに違いない。しかし、まだ使い方が分からず失敗の連続である。そのうち何とかなるだろう。

 先日、兄弟子の橘家文蔵師匠の十三回忌の法要があった。新井薬師前駅から歩いて十分ほどの寺である。文蔵師のおかみさんからカミさんと長女も一緒に連れて来てと言われていたので、3人で出かけた。小さいながらも五重の塔のある立派な寺である。

 総勢40人を超える程で驚いたのは仲間が半分以上もいたことである。他の一門の者もいて、どうしてだろうと思って訊いてみみたら、前座の時によく稽古をしてもらったんだそうだ。「からぬけ」から稽古してもらったというから、弟子同様の扱いをしてもらったようだ。

 読経も無事終わり会食になったが、昼間なのでそうそう酒を飲む人もなく、おとなしいもんだった。仲間の通夜なんてもんは、それはそれは賑やかである。大抵、寺の住職がびっくりするほどだ。事実、文蔵師の通夜ではS師匠がベロベロになり、ラッパを吹きまくって、あまりの騒がしさに先代の住職から大目玉をくらったくらいである。

 食事も済み、三々五々引き上げる人も出てきたのでアタシも中座した。駅の近くでカミさんと別れて哲学堂に向かう。しばらく訪れていないので寄ってみたかったのである。それに井上円了先生の墓参りもしばらくしていない。去年は「井上円了物語」を何度か語らせていただいたので、その報告もしなくてはならない。

 ひさびさに哲学堂公園を散策したが、円了の言葉がそこここに掲げられているのだが、未だに意味がよく分からない。まあ、生涯分からないままで終わってしまうことだろう。またエンリヨウなく寄らせていただきます。

 

娘のパソコンを使って、このブログを書いていたのだか、とうとうパソコンがいうことをきかなくなった。しばらく書かないでいたら、「入院でもしたのかと思った」というような電話をもらう騒ぎになってしまった。

仕方ないので意を決して、きょう、カミさんのアイパッドを使って書くことにした。ところが、使い勝手が分からなくて始末に悪い。でも、そんなことを言ったら、「じゃあ自分のパソコンを買いなさいよ」と言われるのがオチだから、グッと我慢だ。

きのうは東洋大学校友会の兵庫県支部総会に出席して来た。早くなったとはいえ、3時間ちょっとの新幹線乗車は疲れる。本来は朝6時に乗って10時すぎに着くので、会場まで車で行けばいいと思っていたのだが、宿泊してもいいというので前泊にした。 姫路は初めてである。なるべく会場近くのホテルを取ることにした。

当日は朝早く起きて、会場の下見がてら散歩に出かけた。姫路城は工事中で大きな覆いがしてある。来年には新しい姿が見られるらしい。昇太じゃないから城には興味はない。ホテルに戻り、身支度をして改めて会場に向かった。

初めに学生時代の思い出話をしてから「鰻の幇間」に入る。全てで小1時間ほど。初めて聴く人が多い所為だろう、反応は薄かった。しかし、サゲは受けたので良しとしよう。それに引き換え懇親会は大いに盛り上がった。二次会、三次会と付き合って無事帰って来た。

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