2014年02月

 毎月第四水曜日に開催されている松丘亭寄席が30周年を迎えた。30周年ということは360回を迎えたということである。いやあ、すごい。JR武蔵境駅で乗り換えて、2つ目の多磨墓地駅前下車。尤も東京外語大学がここに引っ越して来てからは駅名が多磨と変わった。墓地はいけないということなのだろう。   

 そこから歩いて5分ほどの永福寺が会場である。メンバーは蝠丸、鯉昇、右左喜、愛山、アタシの5人で、右左喜は途中からの参加であるが、当初は二つ目だった者も全員真打となった。最初のころは、まだアタシも一人者で、毎月、寺のもらい風呂をしていたものである。

 ここまで続いた理由は、アタシらもご住職もやめようと言い出さないからである。もう根競べのようなもんだ。いつまで続くかは誰にも分からない。もう、言い出した方が負けといったゲームのような感覚である。「蒟蒻問答」じゃないが、命のあらん限り行なわれることになるのだろう。

 今回は30周年の祝いの会ということで、午後4時の開演。終演後、久々にオークションを行なった。売り上げはいずれ、我々の懐に入ることになる。その後は階下に場所を移しての宴会である。今までで一番数が多いのではないだろうか。座敷一杯のお客さんである。そんなわけで、またたく間にすし桶が空っぽになった。 

 その後はいつもならカラオケスナックに移ることになるのだが、この日は定休日であった。仕方なく駅前の中華の店にお客さん共々8人ほどでの打ち上げ。しかし、いい加減酔っぱらっていて、早々に引き上げることとなった。我々のメンバーもそれなりに年を取って、次の日のことを考えるようになったようである。

 去年に引き続き蓮根図書館での図書館寄席が行なわれた。中台駅から歩いて5分ほど、団地内にある図書館である。去年は3月の末に行なわれて辺りは桜が満開だった。その後、巣鴨へ夜桜見物に行って、つまづいて左足にえらいけがを負ってしまった。

 「健康落語」と謳ってあるので、マクラで健康と笑いについてしゃべりながら、去年、この図書館に来た後で、とんでもないけがをしてしまったと高座でしゃべったら、館長さんから「この図書館の所為ではないですよ」と指摘されてしまった。確かにそうである。あくまでもアタシの不注意である。失礼いたしました。

 お客さんは募集して集まった40名ほど。去年お出でになった方も何人かいらっしゃった。この手の集まりは男性が少ないものだが、こと落語に関しては男性の出席率が高いようだ。ありがたいことである。持ち時間は1時間半。初めに2席しゃべった後に10分ほど休憩をいただき、切りは「ねずみ穴」。

 高校の同級生で麻雀仲間からのリクエストで去年覚えたのだが、なかなか重宝している。大体、お客さんのリクエストで覚えた噺は身に付かないものと思っていたが、そうでもないようである。丁寧にやれば40分ほどあるので、時間のたっぷりある時はこれに限る。

 内容は兄弟の金の貸し借りを通して、背景に火事をからめて弟が災難に遭うことになるのだが、すべては夢だったという都合のいい噺なのだが、共感してくれる方も多いと思われる噺である。笑いが少ないので木久蔵ラーメンのくすぐりなどを入れてやっているが、後で見せていただいたアンケートでも、おおむね感触は良かったようである。

 図書館と掛けて、お寺と解く。そのココロは中に入ってみるとゼンシュウもあります。

 「どうらく息子」寄席が最終回を迎えた。いつもの通り深川江戸資料館での公演である。今回はレギュラーメンバーに加えて桂宮治を招いた。毎号、小学館のコミック誌の欄外に協力者の名前が連ねてあるのだが、落語協会の者ばかりの中、唯一落語芸術協会に属する彼の名を見つけたからである。

 最終回はコミック誌に出てくる噺のうち、「弥次郎」を宮治、「初天神」をぴっかり☆、「死神」を三三がやってくれることになった。アタシは「口入屋」。そして、いつも通りクイツキに作者の尾瀬あきら先生にご登場いただいて、アタシとの対談となった。

 今回も尾瀬先生への質問を募ったのだが、1つも質問が寄せられなかったので、制作の苦労話や裏話をうかがうことにした。また、前座の一力が6月に二つ目になるので、彼を引っ張り出してお客さんに紹介した。とうのも、彼が二つ目になる姿をこの落語会で見たいというお客さんがいらっしゃったからである。

 今回で最終回となったのは小学館の諸々の事情もあってのことなのだが、前出の熱烈なお客様の後押しもあって、今後も同様のメンバーで会を続行することになった。もちろん、コミックの方も現状のまま、まだまだ続くことになっている。

 どんな会でも大抵の場合、最終回はお客さんが入るものだが、この会もお蔭様で今までで一番の入りとなった。次回からは場所をお江戸両国亭に移して5月に行なうことになっている。また、たくさんのお客さんにお出でいただきたいものである。

 打ち上げはいつもの店。今回は三三も出席してくれ、また、小学館の関係者の方々も多数参加して頂いて大いに盛り上がった。そして、憂いていた通り宮治の弥次郎ばりの大嘘で爆笑の連続となった。改めて「弥次郎」という噺は宮治のために作られたようなもんなんだと実感した。宮治が釣りをしたら、おそらく大きなボラしか釣れないだろう。

 毎月1度、黒門亭会議がある。場所は落語協会の2階で10時集合である。そして、黒門亭がある土、日にはこの部屋に高座を設けて特設の寄席になる。この日は寒かったので、人数も集まらないのではないかと思っていたが、やはり、その通りになってしまった。

 いつもは12、3人は集まるところだが、8人だった。それに、決定した芸人の名前を日にちごとに紙片に書き留めていく係のKが欠席だ。故郷の釧路に帰ったらしい。まあ、それほどむずかしい仕事ではないから、Kでなくても誰にでも出来ることなのだが。

 気が付いたら来月は5週まであって月初めと月末がちょうど土、日なので1週多いことがわかった。過去1か月の問題点を話し合った後、すぐに顔付けに入った。携帯と協会の電話を使って、ここ2ヶ月ほど出演していない仲間に一斉に電話する。

 N師匠のように昼過ぎでないと起きてこない方もいるので、そういう人には気を遣う。この日も1時近くになってから電話して、無事、来月の出演を取り付けた。原則としてトリの師匠はネタ出しを義務付けている。すぐに決まらない時は後日、協会に電話してもらう。

 いつもより時間がかかったが、2時前には終わった。自転車を事務所に置いたまま、新宿まで用足し。再び戻って来たところでK師匠とバッタリ。K師とは両国中学の同級生である。それに生年月日が全く同じ。顔を合わすなり、「また誕生日が来るなあ。白髪がずいぶん増えたな」と言われた。「お互い様でしょ」と言って別れる。同級生で漫才をやっている者はいるが、噺家同志というのはないんじゃないのかな。

 東大は赤門、中大は白門、落語は黒門亭、どうぞお出かけ下さい。

 しん平プロデュースによる落語会があった。メンバーはしん平、春輔、アタシである。会場はしん平の新居の近くのふれあい館という区の施設で、広さ20畳ほどの座敷である。座布団を並べて20人も入ればそれなりの形になる良きスペースである。

 前座のあんこが高座に上がっている間にアタシが以前住んでいた辺りに行ってみたら、建物は見事になくなり駐車場になっていた。そして、隣のクリーニング屋も先月で店を閉めていた。察するところ、高齢で続けることが出来なくなったのだろう。

 それにアタシが通っていた定食屋や飲み屋もなくなり、やはり駐車場やチェーン店の店に様変わりしていた。そりゃあ30年も経っているんだから、当たり前の話か。30分ほど散歩をして会場に戻った。一人35分持ちということなので、先日の師匠の三十三回忌の話から「佐野山」に入った。

 カミさんも楽屋にいても仕方ないので、客に成りすまして座っていた。アタシを目の当たりにして聞くのは久しぶりだろう。黒門亭の常連さんも客席にちらほら。なかなかの上客で一席を終えた。アタシの後は兄弟子の春輔だ。一席の後にステテコ踊りを披露した。

 実はこの踊りはしん平が教えてもらいたいと申し出たら、教えるほどの踊りではないということで、それじゃあ席を設けるからその場で踊ってもらおうとなって、この落語会をやることになったらしい。しん平は熱心にビデオを回していた。また、どっかでやるつもりなのだろう。

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