毎月第四水曜日に開催されている松丘亭寄席が30周年を迎えた。30周年ということは360回を迎えたということである。いやあ、すごい。JR武蔵境駅で乗り換えて、2つ目の多磨墓地駅前下車。尤も東京外語大学がここに引っ越して来てからは駅名が多磨と変わった。墓地はいけないということなのだろう。
そこから歩いて5分ほどの永福寺が会場である。メンバーは蝠丸、鯉昇、右左喜、愛山、アタシの5人で、右左喜は途中からの参加であるが、当初は二つ目だった者も全員真打となった。最初のころは、まだアタシも一人者で、毎月、寺のもらい風呂をしていたものである。
ここまで続いた理由は、アタシらもご住職もやめようと言い出さないからである。もう根競べのようなもんだ。いつまで続くかは誰にも分からない。もう、言い出した方が負けといったゲームのような感覚である。「蒟蒻問答」じゃないが、命のあらん限り行なわれることになるのだろう。
今回は30周年の祝いの会ということで、午後4時の開演。終演後、久々にオークションを行なった。売り上げはいずれ、我々の懐に入ることになる。その後は階下に場所を移しての宴会である。今までで一番数が多いのではないだろうか。座敷一杯のお客さんである。そんなわけで、またたく間にすし桶が空っぽになった。
その後はいつもならカラオケスナックに移ることになるのだが、この日は定休日であった。仕方なく駅前の中華の店にお客さん共々8人ほどでの打ち上げ。しかし、いい加減酔っぱらっていて、早々に引き上げることとなった。我々のメンバーもそれなりに年を取って、次の日のことを考えるようになったようである。
そこから歩いて5分ほどの永福寺が会場である。メンバーは蝠丸、鯉昇、右左喜、愛山、アタシの5人で、右左喜は途中からの参加であるが、当初は二つ目だった者も全員真打となった。最初のころは、まだアタシも一人者で、毎月、寺のもらい風呂をしていたものである。
ここまで続いた理由は、アタシらもご住職もやめようと言い出さないからである。もう根競べのようなもんだ。いつまで続くかは誰にも分からない。もう、言い出した方が負けといったゲームのような感覚である。「蒟蒻問答」じゃないが、命のあらん限り行なわれることになるのだろう。
今回は30周年の祝いの会ということで、午後4時の開演。終演後、久々にオークションを行なった。売り上げはいずれ、我々の懐に入ることになる。その後は階下に場所を移しての宴会である。今までで一番数が多いのではないだろうか。座敷一杯のお客さんである。そんなわけで、またたく間にすし桶が空っぽになった。
その後はいつもならカラオケスナックに移ることになるのだが、この日は定休日であった。仕方なく駅前の中華の店にお客さん共々8人ほどでの打ち上げ。しかし、いい加減酔っぱらっていて、早々に引き上げることとなった。我々のメンバーもそれなりに年を取って、次の日のことを考えるようになったようである。