2014年10月

 2年前に終わった「圓朝まつり」に変わる祭りを来年9月6日に湯島天神で行なうことは、すでに決まったのだが、その名称をどうするかを決める集まりが落語協会2階で開かれた。集まったのは25名ほど。前回の集まりはちょうど台風の真っ只中で人数も寂しかった。

 集まった候補の名称は50。よくもこんなに集まったものだ。しかし、中にはいかにも独りよがりのわけの分からない、独断としか思えないものもあった。題して「ゆらま」。これは湯島落語協会祭の略らしいのだが、こんなに略しては何が何だか分からない。

 その他にフェスティバルというような横文字のものは除かれた。次に「らっきょう〇〇」というものも除かれた。これは落語芸術協会の方々が我々の協会のことをそう呼ぶらしいのだが、我々、落語協会員はそのような呼び方をしないため、省かれたのだ。

 そんな中で目立ったのが、「謝楽祭」である。これはKの案だそうだが、すこぶる評判が良かった。ただ、3文字で淋しいということで、結局「落語協会謝楽祭」ということになった。いやあ、なかなか洒落ていてアタシも気に入った。これで祭りの名称は一件落着。

 これからはそれぞれの役員を決め、来年の祭りに向けて落語協会は祭り一色となる。いや、そんなことになるわけがない。アタシは例によって、「ちんちろりんの店」を出すことになる。落語ファンの皆様方もぜひお越し下さいませ。あとの祭りとならないように。

 第3回本所落語倶楽部が終わった。今回はいつもと違って、昼席にしてみた。3連休の最終日の午後である。この節は寄席も夜席に比べると昼席の方が入りがいい。いつからこんなに状況になったかは分からないが、人々の生活形態が変わったからとしか言い様がない。

 小三治師匠のような黙っていても客を呼べる人を除いては、ほんとに寂しい。土、日はともかく、平日の夜の入りは恥ずかしいくらいだ。それに近頃のお客さんの反応は本当に極端で、黒門亭も例外ではないけれど、ある特定の芸人とそうでない芸人の入りが天と地くらいの差がある。

 それに今はネットでお客も調べてくるので、小三治師匠が寄席を休む日などの代演を務める人は可愛そうだ。よほどの実力者でないと、ガラガラになってしまう。以前はそれほどまでにはならなかった。ただ単にお客の目や耳が肥えたというわけではないと思う。それほどまでに残酷だ。

 さてさて、今回の本所の会では学生時代の落語研究会の後輩が4人も来てくれた。その内の1人はわざわざ越後の村上からである。ありがたいことだ。それにお遊びのちんちろりんにも付き合ってくれた。持つべきものは後輩である。お蔭で何とか客席もそれなりの形になった。

 終わってから後輩たちは食事をしたいというので、近くの食べ物屋を教えてやった。両国近辺も昔からの店は少なくなって、チェーン店ばかりになってしまった。アタシは付き合うことが出来なかったが、楽しいひと時を過ごしてくれたことと思う。次の機会にまた顔を出してもらいたいものだ。

 アタシの知り合いが卒業した長野県下の小学校の同級会にゲストとして招かれた。卒業して50年近くが経ち、今やその小学生も還暦を迎える年である。こういう席での落語一席は初めてである。会場は料理屋の座敷であるが細長い座敷の中央に高座を設置してもらい、乾杯をする前に一席やらせていただいた。

 先生は84歳になり、はじめはひとりで参加する予定だったのだが、落語があるというので奥さんもご参加下さることになった。先生は耳が遠いというので、アタシの真ん前で聴いていただくことになった。元生徒たち30名ほどは先生を囲むようにして高座を見つめる。

 20分ほどご機嫌を伺って、落語が終わるとテーブルを並べ直して、お待ちかねの宴会となった。50年ほど経っても、先生は先生、生徒は生徒、先生からはこれからのみんなの生き様の教訓が語られた。あくまでも真面目な先生である。生徒たちも神妙に聞き入っていた。

 酒が進むにつれ、次々に昔話が語られる。かつてのマドンナと呼ばれていた女性も出席していたが、現在はその面影がなかったり、どうしようもなかった者が今は成功して多くの従業員を抱える会社の社長になっていたり、50年の年月は人を面白いように変貌させてしまうものだ。

 アタシが顔を知っている方は数人であるが、結構、溶け込んで話し込んでしまう。話は尽きず、2次会へ。そこでも話に花が咲き、さらに3次会へ。ここでアタシは失礼した。
 同級会とかけて、速く目的地に着く電車の暖房と解く。そのココロはキュウコウを温めます。へへへ。
 

 リサイクル施設見学研修会に行ってきた。京浜急行の追浜駅に集合してバスでの移動である。参加者は経済産業省、環境省、市民団体、ボランティア団体、報道関係者、協会会員会社というお堅い団体の方々である。アタシは去年、「環境落語」をやった際にアルミ缶リサイクル協会の方と知り合い、お呼びがかかったというわけ。

 まずは横須賀リサイクルプラザへ。ここは通称アイクルと呼ばれているそうだ。語源は愛のリサイクルというような意味で、小学生の女の子が命名したそうだ。ここの建物はヨーロッパのお城風の立派な建物。リサイクル工場というと殺風景なものが多いので、そうしたくはなかったとのこと。

 ここでは除袋機や容器包装プラスチックなどの受け入れから搬出までの処理ラインを見学。ここで二重袋はしてはいけない理由を知った。二重袋というのは、ゴミなどの中身の入った小袋をいくつかまとめて大きい袋に入れることで、袋を開けるのが二重手間になるからいけないのだ。これからは気をつけよう。

 その後は横浜中華街で食事をして、午後は鶴見資源化センターへ。ここでは缶、ビン、ペットボトルの選別と資源化の工程を見学。しかし、横浜地区では東京23区と違って、缶、ビン、ペットボトルの分別収集を行なっておらず、一緒に収集しているのだ。

 理由を訊いたら、運搬コストがかかりすぎるからということだったが、果たしてそうだろうか。この3種を個別に収集した方が分別の手間を考えた場合、はるかに効率よく処理でき、運搬コスト以上の効果を発揮する気がしてならない。何か他の理由があるに違いない。

 最後にキリンビール横浜工場へ。ビール工場でもビール瓶やアルミ缶の軽量化に常に努力をしていることがよく分かった。その後、ビールの試飲を行なう。出来たてのビールがこんなにうまいとは知らなかった。おかわりをして黒ビールも飲んでみたが、やはり味が違うように感じた。

 キリンビールばかり書いてきたが、アサヒビールの社員さんもいたので、ここでは、アサヒビールとかけまして、ライオンと解く。そのココロはキリンも食われます。

 10年間続いてきた円朝まつりが終わってから、去年、今年と落語協会主催のまつりは行なわれなかった。そして、ここへきて来年、同様のまつりをやることが正式に決まった。場所は湯島天神である。場所は願ってもない、申し分のない所である。どういう経緯で決まったかは分からないが、大歓迎である。

 そして、先日、その第1回の会合が鈴本演芸場で開かれた。会長はじめ、主だった理事も多数集まった。そして、立候補により喬太郎がまつりの実行委員長に選ばれ、開催日も来年9月6日の日曜日と決まり、いよいよ、その日に向けて始動することとなった。

 アタシもこの節は本所落語倶楽部などの落語会で、細々とちんちろりんを開催して来たが、やっと日の目を見ることになる。とにかく、良かったの一言である。湯島天神なら知らない人はまずいないであろうし、今までの会場よりははるかに立地条件もいい。 いいことずくめで大いに期待が出来る。

 これから実行委員長のもと、様々な係の人選に入り、来年の春からは落語協会一丸となって、まつり開催に向けて突き進むことになるだろう。まだ、まつり自体の正式名称も決まらない段階なので、すべては白紙の状態であるが、今までの円朝まつり以上の盛大なまつりとなるのは間違いない。

 これも正式に決まったことではないが、アタシのちんちろりんの店の隣はしん平の店となるように、これから働きかけるつもりである。でも、しん平がどんな店を出すか、出さないかもまだ聞いてはいない。まあ、何にしても来年、落語協会主催のまつりが開かれるということで、アタシもちょいとばかり舞い上がり状態。 

 この日は早朝からの集まりということで、おにぎりとお茶の用意が入口にあった。参加した会員はそれを受け取りながら、会場に入ることになったが、誰かがまるで炊き出しのようだと言っていた。してみると我々は家なき子みたいなものか。ハハハ。

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