2016年01月

 連続病院通いの3日目。この日は大腸ポリープ手術のため、 朝7時から水を2リットル飲まなければならない。3年前にも検査のために飲んだが、その時はレモン風味の液体だったのだが、今回はパックの水の中に塩分を含んだ粉末を混ぜる塩味の水に変わっていた。

 まず、1時間かけて1リットル飲み、その後、水を0、5リットル飲む。これも前とは違う。そして、また塩水を0、5リットル飲む。これで便が透明の水のようになれば終わり。これできれいにならなければ、残りの塩水を飲み、水を飲む、という段取り。

 水を飲み始めて1時間もしないうちに便意をもよおす。我慢しようとしても、自分の意思に反してもれてしまう。だから、我慢せず、すぐにトイレに駆け込んだ方がいい。トイレに通うこと6回。だんだんと便が固形物から水状になって来る。

 出来れば、最後の0、5リットルも飲んだ方が良かったのかも知れないが、まあ、いいことにして、歩きで同愛記念病院に向かう。国技館の前を通ると、大きなマスクをした八角理事長とバッタリ。でも面識がないので、そのまま通り過ぎる。ハハハ。家から16分、病院到着。

 入院手続きをしてから、放射線科へ。手術着に着替えて手術台に横たわる。前回の検査の時はパンツをはいたまま上がって、大失敗。しかし、今回も手術用パンツの穴の開いた方を前にしてはいてしまい、ハサミでお尻の方に穴を開けてもらった。どうやら、男性の場合は穴の開いた方を前にしてはいてしまう人がいるらしい。

 横向きになって、まずは指を突っ込まれてからカメラが挿入される。大腸の角を通る時に痛みを感じる。まずは一番奥までカメラを入れて、それからバックしてポリープを探すらしい。だが、どうも便が多く残っているとのこと。やはり、もう少し水を飲むべきだったようだ。

 時々、ひどい下痢をした時のような痛みが走る。途中から仰向けになり足を組むような形をとらされる。「折角、来てもらったんですから、良く調べましょう」と言われての結果、見つかったポリープはたった2個だけ。これなら、もう少し経ってからでも良かったのでないかと思う。

 この日は1日絶食で、すべて点滴で済ます。非日常の1日だったが、夜9時消灯。翌日の昼前、退院。長い24時間だった。2週間は禁酒、過激な運動禁止(ゴルフも禁止というから、過激な運動になるらしい)、入浴禁止、旅行禁止、刺激のある辛い食事禁止。アタシの眼も近視。

 半月ほど前から、眼球を動かすと黒い影のようなものがチラチラするので検査に行ってきた。毎月、同愛記念病院の整形外科に行って、右膝にヒアルロン酸の注射をしてもらっているので、行った時に眼科にも寄ってみようかなと思ったのだ。

 実は先週、大腸ポリープ手術の予約のついでに寄った金曜日は、休診となっていた。眼科の先生がどうやら足りないらしい。でも、眼科にかかる患者は少ないらしく30分も待つことなく、すぐに呼ばれた。これはありがたい。まずは視力検査をして再び、待ちとなり、いよいよ先生の前へ。

 問診での症状を伝えてから、大きなレンズを通して四方八方の眼の動きを見てもらった結果、どうやら、大したことはなかったようだ。緑内障の心配もなく、白内障になる可能性はあるものの現段階では何の心配もないそうだ。もう少し、何らかの指摘があるかと思ったので、いささか拍子抜け。でも、3か月後には再検査だ。

 そして、その翌日は胃の検査。いつもは放射線科へ直接行けば良かったのだが、今回は内科の医者の問診があった。以前より、何かと手間がかかるようになって来た。放射線科でもいつもより念入りに検査に時間をかけるようになった。

 胃カメラを吞む方がてっとり早いし、より正確な診断が出来るのは知っているが、胃カメラよりはバリウム検査の方がはるかに楽。胃カメラは2度吞んでいるが、どうも苦しいし、気持ち悪い。「オエー」となるのが分かっているから、出来ればやらないに越したことはない。

 バリウム検査も以前よりは格段に時間をかけている。ベッドが後ろに倒れるばかりでなく、その上で腹這いのまま何度も回転させられた。去年は1回きりだった気がする。体の不自由な方には無理だというような案内があったが、確かにその通りだ。

 さて、検査をする度に、その結果を知るために、また足を運ばなければならない。そんなわけで、病院通いの予約ばかりが入って、今年は仕事より、病院の予定で一杯になっている。そして、実はこの翌日にはまた、ポリープ手術が待っていたのである。3日連続の病院通い。オヤオヤ。この続きはまた。

 

 

 独演会も118回を数え、無事終わった。会場をお江戸両国亭に替えてから、色物をやめ女流の方々を起用している。主に噺家と講釈師である。講釈師は今や女流が6割を占めている。これは神田山陽先生が女流の弟子を多く採るようになったのが始まりである。

 初めはいろいろと勝手なことを言う仲間もあったようだが、いまではすっかり女流が講釈師の社会的地位を得ている。そして、それなりにみな活躍しているから、大したものである。まあ、講釈は女流でも語り物であるだけに違和感はないだろうが、落語はそうはいかない。女流噺家は大変である。

 今回はヒザに女流講釈の草分けでもある神田すみれ先生を頼んだ。去年、彼女の会に呼ばれたので、そのお礼のような形になった。出し物もアタシの希望で「徂徠豆腐」をお願いした。アタシもやる演目であるが、どんなものか聴いてみたかったからである。

 もう一人のスケは八ゑ馬である。二つめになってからは関西弁で演じている。今回は「胴乱の幸助」だった。やはり、彼は上方落語の方が任に合っているような気がする。この先、うまく化けるかも知れない。また、そうなって欲しい。

 新年初めての独演会ということで、新潟・村上のRから生花が届いた。よく高座で「花束よりも札束を」なんて言うけれど、やっぱり忘れずに贈っていただくと悪い気はしない。小分けの束にして、お客さんにお持ちいただいた。喜んでいただけたと思う。

 アタシは久々に「品川心中」。K師匠に稽古していただいたのだが、学生の落研時代に好んでやったことがあるので、多分にその口調の名残があちこちに残っていて、何かちぐはぐな感じがして、まだ完全に自分のものになっていないような気がする。

 打ち上げは駅前の店で行ない、その後、鳥越の旦那の行きつけのスナックで二次会。2時前には終えたので、健全な飲み会となった。いつもこうだといいんだけど、ついついねえー。

 久しぶりに新春福笑い公演が行なわれた。4年ぶりである。1度中断された落語会が復活するというのは珍しいことである。今回の会場も宗教施設・天心聖教本部のファミリーホールである。700人入る会場なので、また久々ということもあって、お客さんの入りが心配されたが、結果は満員であった。心配して損した感じ。

 本数はやる度に増えて、今回は12本である。それでも色物の本数を減らしての結果である。午後3時から6時までの3時間、一人当たり15分の高座だから、都内寄席並みの興行である。これで木戸銭千円だというのだから、満員にならないわけがないか。(今だから、そう言えるけど)

 本部からの希望で今回はぴっかりと紙切りの正楽師匠が新たに加わった。他にも希望の噺家がいたのだが、今回は都合がつかなかった。出演者は落語芸術協会の方がほとんどなので、アタシとしては落語協会の連中に、もう少し出て欲しかったのだが、来年に持ち越しとなった。

 今回も本部を拠点として全国の支部に全編が同時中継された。本部での反応はもちろん上々であったが、各支部ではどうだったのだろう。何しろ、久しぶりのことなので、他支部の動向がいささか気になる。本部同様、楽しんでいただけたのなら、ありがたいことなのだが。

 今回は講談の陽子のトリであったが、来年はアタシがトリを務めることになりそうだ。落語協会の面々が新たに加わるので、また新たな笑いに包まれるに違いない。とにかく、お客さんたちの上質な笑いが我々芸人にとっても何よりの生きがいとなっているのだ。

 木戸銭を払っている以上、笑おうと笑わまいと、それはお客さんの勝手だが、ここのお客さんは大いに笑ってやろう、楽しんでやろうという前向きな姿勢が誠に心地よい。だから、我々芸人にとっても、楽しんで高座を務められるわけだ。来年も大いに期待し、また期待してもらいたい。

 新春福笑いと掛けて、オリンピックと解く。そのココロはみんなが大きなきれいな輪でつながっています。
 

 

 大相撲初場所も中日が過ぎた。地元、両国の開催なので国技館の前を通ることも多い。その5日目、隠岐の海と豊ノ島の取り組みがあった。豊ノ島が寄って、隠岐の海が土俵伝いに回り込んで豊ノ島をつきおとしに破ったと見えたが、軍配が豊ノ島に上がった。

 当然、物言いがつくと思ったが、軍配通りの結果となってしまった。すぐにビデオが流されたが、隠岐の海の足は俵の上に残っていて、どう見ても豊ノ島に分が悪いようにしか見えなかった。翌日の新聞にもきわどい勝負で豊ノ島の勝ちという書き方をしていた。

 検査役にはきわどい一番とは見えなかったのだろうか。確認のための物言いというのもあるのだから、なぜ、物言いを付けなかったのだろう。どうも納得がいかない。たとえ、一方の力士が勝ちと見えるような勝負であっても、きわどい一番には物言いを付けるべきではないのだろうか。

 以前、両国橋のたもとのうなぎ屋で落語の会をやった時に、そのころ、幕下だった隠岐の海が客として来てくれた。その時は「佐野山」を演じたのだが、何しろ、現役の力士が会場に来てくれたので、他のお客さんも大いに喜んでくれたものだ。その後は順調に勝ち進んで一時は小結までなったのは周知の通り。

 そんなわけで、隠岐の海からは毎場所番付表が送られてくる。何も出来ないが応援だけはしている。今場所は調子がいいようなので、あの一番が残念でならない。勝負の世界では勝ちと負けでは大きな違いだ。未だに納得出来ないでいる。

 

↑このページのトップヘ