2016年09月

 今年も落語協会が募集した新作落語台本の最終選考会が行なわれた。今年は274作品が集まったが、本数では去年をさらに上回った。毎年のことだが、作品数が多いから優秀作品が多いかというとそんなことはない。特に今年は優秀作品を選ぶのに、みんな苦労したようだ。

 5人の代表が全作品を読み、その中からこれはと思うもの12作品を選んだ。バランスをとるため、現代もの8作品、まげもの4作品となった。そのうち、「時回転寿司」と「散ればこそ」、「リベンジ商店街」と「穴」はそれぞれ同一作者ということで多数決で「散ればこそ」と「リベンジ商店街」の作品に絞られた。そのため、作品数は10となった。

 集まった委員13名により、読み合わせが終わった後、この作品は優れているということで「コロッケそば」が候補に挙がり、誰からも異論は出なかった。そして、それを是非やりたいということで才賀師が名乗り出た。まず1作品決定。次に各作品ごとに挙手をして「リベンジ商店街」「猫屋」「ビューティフルネーム」「木彫りの師匠」が選ばれた。

 アタシが押した「リベンジ」「ビューティフル」「木彫り」も最終選考に残った。次に演者の選定であるが、「ビューティフル」を丈二、「木彫り」を小せんが演ずることに決まり、「リベンジ」を駒次、「猫屋」を白酒にどうだろうとの意見がまとまり、調整に入った。

 アタシもここしばらくやっていないので、円丈師や何人かの委員に出演を勧められたのだが、今年は本選当日、どうしても都合がつかず辞退をさせていただいた。しかし、演じたいと思う作品もなかったので、また来年という期待を込めての辞退でもある。本選は12月8日、日本橋亭で行なわれる。

 落語芸術協会のまつりに行ってきた。例年は10月のなかばあたりに行なわれているのだが、今年は9月の開催となった。後で知ったことだが、9月中なら、何とか浴衣でも対応出来るが、10月では浴衣というわけにはいかないということらしい。我々からすると、わざわざ、ちゃんとした着物を着て接待するのが面倒だというのはよく分かる。

 1日中あちこちを覗くほどのことはないので、午後からの参加。アタシがいつもTシャツを頼んでいるMさんがTシャツの店を出していたので、顔を出した。この店には鯉昇がいた。この時間にやっている催しで何が面白いかと訊いたら、桃太郎の人生相談がいいだろうというんで、早速、足を運んだ。

 定員100名だが、一杯である。満員で入場禁止だったが、顔パスでもぐずり込んだ。ここはお客さんから、いろいろな相談を受け、桃太郎師がそれに答えるという、毎年行なっている目玉イベントである。司会進行は枝太郎。18歳の女子高生からの質問。

 これから立派な社会人となるにはどうしたらよいだろうかという真面目な質問である。その答えが本を読めと言う。おすすめは夏目漱石が良いという。理由は分からない。桃太郎師本人は吉川英治の「新平家物語」に感銘を受けたというが、やはり理由までは語らない。

 その他に女流芸人からの質問で、師匠の介護に悩んでいるという。兄弟子や仲間が助けてくれないので、どうしたらいいかというもの。その答えは、師匠はまだ歩けるんだから、ほっとけばいいという。相変わらず、分かったような分からない答え。いつものボソボソとしゃべる、あの調子でやるから、客の笑いを誘う。

 夢花の見世物小屋では去年、200円だまし取られたので、今年は覗かなかった。蝠丸、右左喜がいたので談笑。その他、松丘亭のお客さんにも何人かお逢いしたので、またお寺でお会いすることを約束して有意義なまつり会場を後にした。

 桃太郎師の人生相談と掛けて、防災訓練と解く。そのココロは、みんなけむに巻かれます。



 

 アタシの落語会の常連さんで、今年は広島旅行も一緒したY女史からの誘いで、勝鬨橋橋脚内見学ツアーに参加することになった。何でも東京都の広報記事でこのツアーを知ったという。アタシも都の広報は見ているつもりだったが、そんなものには気が付かなった。もっとも、関心がなかったから、気が付かなったのかも知れない。

 参加者はアタシを含めて5名。アタシの他は彼女の姉さん、落語会の仲間や友人ら熟女4人、面白いツアーになりそうだ。午後2時15分に勝鬨橋脇の「かちどき橋の資料館」に集合。受付で住所、氏名を記入して荷物をロッカーに入れてあったヘルメットと入れ替える。

 まずは身体を吊るすハーネスを身に付け、ヘルメットをかぶって、ビデオをを見ることに。その後、勝鬨橋を渡りながら、橋の説明。橋の開閉はもう46年間行なわれていないんだそうだ。そして、今いざ稼働させるとなると10億円はかかるという。実現しないわけだ。
 
 そして、いよいよ鉄梯子を下って橋脚見学。この際にハーネスと命綱を使うことになるのだが、無事、3、5メーター下に降りて橋の裏側へ。橋の上ほどではないが、車が通るたびに全体が揺れる。橋が開いて上がる構造をつぶさに見るが、実物を見るよりは図解や模型の方が分かりやすい。

 約1時間、覗いてみたが、よくもこんな大きな構造体を造ったもんだと感心するばかり。戦前の日本の技術の高さを目の当たりにすることが出来た。しかしながら、そのころと現在の交通量はまるで違うだろうから、やはり今となっては車を止めて橋脚を開くことは不可能だろう。

 記念写真を撮って、築地市場をキョロキョロしながら、銀座の大衆酒場のSにて乾杯。誘ってもらわなければ生涯見ることのなかったであろう体験をさせてもらうことが出来た。いろんなことに興味を持つY女史からは、また何らかの誘いがあるかも知れない。次回も楽しみだ。

 

 福島県の国見町という所から「健康落語」の依頼があった。朝10時からの講演なので、福島に前乗りで前泊となった。どうせなら、早めに行って辺りをブラブラと思って、午後すぐの新幹線に乗り込んだ。駅前のホテルに荷物を置いて外に出たが、目ぼしい物は何もない。

 暗くなるのを待って、カツサンドとポテト、魚の缶詰などを買い込んで部屋でテレビを見ながら、ちびちび始めた。こういう時は面白い番組はやってないものだ。どんどん吞むペースが早まって、ワンカップ2個がすぐに空になった。仕方なく、着替えて買い出しに。

 それからも何となくテレビを見ながら、一杯やっていたが、あと一口がなかなか吞めない。諦めてシャワーを浴びて寝てしまった。夜中にエアコンが効きすぎて目が覚める。それからがなかなか寝付けない。最近、こういうことが多くなった。そして、起きる時間となるころに無性に眠くなるのだ。困ったもんだ。

 朝早くの電車に乗り込んで藤田という駅に向かう。駅まで出迎えた車で会場へ。観月台文化センターという立派な施設である。タイトルが「林家時蔵独演会~笑いは心の栄養剤~」と変わったということだが、なに、心配はない。しゃべることはおんなじだからだ。

 百人近くの高齢者ばかり。尤もアタシもその仲間の一人だ。笑いと健康について、いかに笑うことが健康に結びつくか、専門家の話を交えて60分ほど。かなり、反応は良い。それに、この手の集まりはおばさんばかりが多いものだが、この日はじいさんもかなり混じっていた。結構なことだ。

 残りの30分で「鰻の幇間(たいこ)」をみっちり。こちらもうまくハマって言うことなし。元気な高齢者に助けられて気分よく仕事を楽しみながら終えることが出来た。いつもこうだと、本当に楽な仕事なのだが、そうでないことも多い。何しろ、生き物が相手だけに始末に悪い。

 一門の橘家文左衛門が亡き師匠の名を継ぐことになった。3代目橘家文蔵の誕生である。その披露目が帝国ホテルの孔雀の間で賑やかに行なわれた。午後6時半からの開宴であったが、かなり蒸し暑いのでスーツをやめて、ノーネクタイで白いジャケットを羽織って行くことにした。

 時間通り、帝国(定刻)の6時半に宴会はスタートした。金屏風の前に新文蔵、会長の市馬、木久扇、一朝の面々が客を出迎える。司会は喬太郎である。芸術協会からの出席者はあまり多くなかったが、それでも1テーブルを占めている。先代のお世話になった方々に違いない。

 面白かったのは松丘亭で毎月一緒になる蝠丸さんが、芸協代表の挨拶をすることになったことである。そういえば先月、自分が香盤順で一番上なので、挨拶をしなくちゃならないとしきりにぼやいて、困っていた。実際、やたら長い挨拶で当人も何をしゃべったのかは覚えていないであろう、そんな妙な挨拶だった。

 アタシの隣は久々に顔を合わせるS師匠である。食事が始まって気が付いたのだが、この師匠、別メニューである。 飲み物も持参した茶葉に係の方からお湯をもらって飲んでいる。身体を心配してのことであろう。かわいそうなので、どこが悪いのかは聴かなかった。

 メニューの中に 3代目監修の林家の牛めしというのがあったが、本来の牛めしとは似て非なるものであった。帝国ホテルで牛スジ肉を使うのはためらいがあったのだろう。上品すぎる牛めしである。その他のメニューもなかなか手の込んだものが多かった。料理人だった3代目がダメ出しをしたのだろう。

 余興も何人かあったが、やはり一番受けていたのは会長・市馬の「俵星玄蕃」だった。時間にして12、3分ほどだったろうが、客を飽きさせない。ギターの弾き語りなどは、我々の披露目では余程のことがない限り、ウケないものだが、この日もそんなのがあった。これだけは3代目の余興の選択ミスと言いたい。

 

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