毎年2月に国立演芸場で鹿芝居が行なわれている。鹿芝居というのはハナシカが演ずる芝居という意味である。この鹿芝居も今年で15回目だという。そして今年も10日間、11芝居のすべてが満席というのだから大したもんである。
今年の出し物は「らくだ」である。落語の出し物であるが、実際の芝居でも何度も演じられたことがある。落語でも充分に面白いが芝居ともなれば、はるかに面白い。らくだと呼ばれるならず者がふぐに当たって死ぬのだが、この死体にかんかんのうを踊らせるのが見せ場である。
今回の芝居は本来の「らくだ」のストーリーに「豆屋」や「たらちね」という落語を巧みに取り込んだものとなっていた。落語好きのお客さんには充分楽しんでいただけたであろう。脚本は芝居好きのSが毎回担当しているが、楽しみながら本を書いているのがよく分かる。
開演前に楽屋を訪ねると相変わらず、笑いが絶えない。獅子舞をしている1人に訊いてみた。「だんだん年をとると獅子も辛いんじゃあないの?」「いやあ、お足のためだと思えば、どうってことないですよ」と言う。そんなに祝儀が集まるものかと客席に廻ってみた。
2人の獅子が客席を廻って行くとお客さんが心得ていて、祝儀を獅子の口の中に差し入れる。それもほとんどが祝儀袋を差し入れているのだ。つまり、皆さん承知で祝儀を用意して待っているわけだ。さすが国立演芸場のお客様である。これなら、なるほど獅子もやりがいがあるというものだ。
去年までは客席後方で立ち見だったが、今年から立ち見も出来ないというので後方のテレビモニター室から見るはめになってしまった。だから、大向こうから声を掛けることも出来なくなってしまった。幕開けと同時に馬生師匠が花道から舞台に向かった時に「木挽町!」と一声かけただけである。
今年の出し物は「らくだ」である。落語の出し物であるが、実際の芝居でも何度も演じられたことがある。落語でも充分に面白いが芝居ともなれば、はるかに面白い。らくだと呼ばれるならず者がふぐに当たって死ぬのだが、この死体にかんかんのうを踊らせるのが見せ場である。
今回の芝居は本来の「らくだ」のストーリーに「豆屋」や「たらちね」という落語を巧みに取り込んだものとなっていた。落語好きのお客さんには充分楽しんでいただけたであろう。脚本は芝居好きのSが毎回担当しているが、楽しみながら本を書いているのがよく分かる。
開演前に楽屋を訪ねると相変わらず、笑いが絶えない。獅子舞をしている1人に訊いてみた。「だんだん年をとると獅子も辛いんじゃあないの?」「いやあ、お足のためだと思えば、どうってことないですよ」と言う。そんなに祝儀が集まるものかと客席に廻ってみた。
2人の獅子が客席を廻って行くとお客さんが心得ていて、祝儀を獅子の口の中に差し入れる。それもほとんどが祝儀袋を差し入れているのだ。つまり、皆さん承知で祝儀を用意して待っているわけだ。さすが国立演芸場のお客様である。これなら、なるほど獅子もやりがいがあるというものだ。
去年までは客席後方で立ち見だったが、今年から立ち見も出来ないというので後方のテレビモニター室から見るはめになってしまった。だから、大向こうから声を掛けることも出来なくなってしまった。幕開けと同時に馬生師匠が花道から舞台に向かった時に「木挽町!」と一声かけただけである。