2018年02月

 2月中席に恒例の国立演芸場での鹿芝居があったので、今年もひやかしに出かけてみた。楽屋に顔を出すと、アタシ同様に見物の二つ目がいた。かゑる、花飛、それにあんこ。今年の出し物は落語の「子は鎹」である。脚本はいつも通り、竹のすずめ、すなわち正雀である。

 芝居は中入り後となっていて、中前の番組は落語が何本かあって、獅子舞で中入りとなっている。獅子舞もいつも通り菊春と世之介の名コンビである。だんだん年を取って来ると倒立が出来なくなってくるだろうが、今のところ大丈夫そうである。楽屋に訪ねた時はちょうど終わった時で、お客さんからいただいた祝儀を腹掛けから取り出しているところだった。

 中入りが終わってから、二つ目連中と一緒に客席に。国立演芸場は立ち見が出来ないため、客席後方のガラス張りの特別室に入る。目の前のガラス窓を開けて、大向こうよろしく掛け声をかける算段となっている。客席下手の通路から馬生師匠が現れたので、「木挽町!」と声を掛けるも、かゑるの声に圧倒されてかき消されてしまう。

 それにしても毎年、大家役の馬楽師匠ははまり役だ。こんな因業な大家の役を出来るのは他にはいないだろう。実にいい雰囲気を醸し出している。ちょうど冬季オリンピックの最中とあって、芝居の中ほどでなぞかけを披露する余興が挟まれていた。そのなぞかけは後ほど。

 この日も客席は大入り満員でアタシも大入り袋を頂戴した。いつもながら、ありがたいことだ。この芝居10日間すべて大入りというのだから、すっかり演芸場に定着した興行となっている。最後まで大いに楽しませていただいてお客様共々三本締めをして、めでたく終演。
 さて、劇中のなぞかけです。オリンピックとかけまして、藤井六段の将棋と解く。そのココロは金、銀取って角(格)が上がります。

 

 今年も胃のバリウム検査の時期となった。いつも通り、同愛記念病院に申し込みをして出かけて行った。受付に行くと、例年にない問診用紙を受け取る。バリウムによるアレルギーがあるかとか、食事を摂らずに来たかとか10項目ほど。血圧も計るよう指示があったので、設置してある血圧計で測定すると148と98。降圧剤を飲んでいないので高めだ。

 レントゲン室で受付をして、すぐに検査着に着替えて検査室へ。検査台に乗ってから短い試験官に入った胃を膨張させる粉末を飲む。その際、げっぷが出そうになっても我慢するように指示されるが、これがむずかしい。どのようにしたら、げっぷが止められるかやったことがないからだ。

 バリウムを少しずつ胃に流し込んだ後に検査台が横に倒れて、台の上で腹這いになったまま5回ほど回転をする。これが結構手こずる。これも普段からやることのない動作だからだ。のそのそしていてはいけないと思い、必死のおもいで回転する。

 その後、検査台の上で横を向いたり、あおむけで頭が下がった状態になったり、胃を器具で押さえ付けられた状態になったり、息を止めたりと、げっぷを我慢しながらかなりつらい動作を強いられた。それでも胃カメラを飲むことに比べたらずいぶんと楽だ。

 検査はちょうど10分で終わった。体力のない人だったら動作も緩慢になり、もう少し時間もかかることだろう。以前は倍ほどの時間がかかったから、次第に検査も楽になっているのだろう。しかし、検査台の上で体を動かす動作は以前と比べるとかなり多くなっているように思う。

 

 もう先週のことになってしまったが、寄席で豆まきがあった。今年の節分の日はちょうど土曜日だったので、黒門亭でも豆まきがあった。たまたま、その当日、黒門亭の番頭を担当していたので、午前11時に落語協会2階の楽屋に行ってみると、蔵之助と金八が作業をしていた。

 毎年やっていることのようだが、2人は早めに来て福豆の袋詰めをしていたのだ。大入り袋と普通の封筒2種類に次々に詰めていく。その数、150個ほど。そんなにたくさん詰めなくてもと思うのだが、残ってもしかたがないので袋の豆すべてを詰めるのだという。

 黒門亭は1部、2部で満員になっても80名なので、福袋は必ずと言っていいほど手に渡る。その上、出演者の手拭いも撒くので、こちらも他の寄席に比べるとかなりの確率で手に入るはずだ。事実、1部は40名、2部は20名のお客さんであった。

 特に2部の方は手拭いが14本もあったので、7割の確率でお客さんに渡ることになる。他の寄席でもいつもよりお客さんの入りが良かったそうだから、福豆や手拭い目的のお客さんが多かったということだろう。節分の日に何らかの品を手に入れたい方はぜひ来年、黒門亭にお出でいただきたい。

 11日間にわたる浅草演芸ホール1月下席が楽を迎えた。普段より1日多いだけなのだが、ずいぶんと長く感じられた。29日には寄席を終えてから、師匠の命日であったため、池袋の寺まで墓参りに行って来た。その帰り、稲荷町の交差点で大きな声でアタシの名前を呼ぶ人がいるので、そっちを見ると正蔵だ。この辺りを旅番組でロケ中だという。

 そして、千秋楽。昼席のトリまで居残るため、自分の出番が終わってから湯島天神に向かい初詣。あちらこちらに受験生の合格祈願の絵馬があふれるまでに掲げられていた。みんな必死なのだろう。どちらかと言うと受験生本人ではなく、家族の方々が多く詣でていた。ここは9月に謝楽祭の会場となる所だ。

 時間があったので思いついて、すぐ近くの麟祥院に向かった。ここは東洋大学の学祖である井上円了が大学の前身である哲学館を起こしたところである。また、ここは春日局の菩提寺でもあるため、一緒にお参りをする。その後、浅草の寄席に戻る。

 楽ということで、一朝師匠の一門の若手が何人も残っていた。そして、楽屋で一朝師がトリで何をやろうか迷っていたので、「七段目」をリクエストする。この師匠の芝居噺は定評がある。歌舞伎座で笛を吹いていたこともある位だし、何しろおかみさんはもう亡くなったが、歌舞伎役者の娘さんである。

 ハネてから、稲荷町の居酒屋に行くという。29日に正蔵がロケしていた目の前の店である。この店では定期的に寄席が開かれていて、店のそこら中に噺家や色物のポスターが所狭しと張られている。後ほどトイレに行ったら、ここも壁にチラシやポスターがあふれていた。

 楽の打ち上げは下座さんや一門、それに一朝師のお客さんを含めて総勢14名。店は貸切となった。この日はアタシは柳朝に付き合って熱燗を頂く。彼は夏でも熱燗しか呑まないのだという。11日間の寄席を無事に勤め上げて、みんな満足そうだった。

↑このページのトップヘ