2018年05月

 独演会が終わった。今回で132回である。年6回、いつまで続くのか。会を続けるからお客さんがお出でになるのか、お客さんがお出でになるから会を続けるのか、鶏と卵のような問いかけだが、続けられるまでやることになるのだろう。いつかは終わるのだから。

 さて、今回の助演は花いちと講談の琴柑の二人。二つ目の二人だが、今や二つ目にとっては戦国時代で、とにかく人数が多いので、しゃべる場所を自分で確保しなければならない。いや、二つ目ばかりではない。真打であっても自分で勉強会をやらなくては、せっかく噺を覚えても披露するところがないので、みな必死だ。

 とにかく、今はお客さんを集めるのが大変。「東京かわら版」を見ればわかるが、平日でも20から30の落語会があって、土、日となると40から50ほどにもなる。だからお客さんの方でもどの会に行こうか迷うほど。まあ、噺家が多すぎるというのが一番の原因でもあるわけなのだが。

 今回のアタシの演目は「師匠と弟子」と「旅の里扶持」。前者は八代目のアタシの師匠との思い出話のようなもので、「環境落語」をやる時に講演として常にやっているもの。いろんなエピソードがあって、そこそこ笑いが取れるので実に重宝している噺である。

 後者はウチの師匠がやっていた長谷川伸先生の作品で人情噺仕立てになっているもの。旅先の噺家が母親が亡くなって、残されてしまった赤ん坊を里親に預けて、17年後にその赤ん坊に逢いに行く。そして、薄幸であったその母親に思いを寄せるといったような筋立て。

 最後に新内の「蘭蝶」を一節語る所があるのだが、台本のその部分に「誰がやってもうまくいかない」としてあったので、ウチの師匠もそれじゃあ、何とかしてやろうと新内を稽古してやってみたんだが、やはり、うまくいかなかったとのこと。何とかなるものなら、やってみたいとも思うのだが、、、。

 5月中席の新宿末広亭夜席は5代目柳家小さん師匠の17回忌特別興行である。連日、一門のお弟子さんたちが日替わりで工夫を凝らした番組を組んで行なわれている。それにちなんで巣鴨の高岩寺会館では小さん師匠の写真展が開かれている。

 これは落語協会専属のカメラマンであるYさんが撮りためた、5代目の師匠の懐かしい生前の写真を展示するものである。会館と言うので巣鴨駅から行って高岩寺の手前の会館かと思ったら、ここは信徒会館とのことで、寺の先の会館を教えてもらった。ここは初めてである。

 受付にはYさんご夫妻がいて、丁重なおもてなしを受けた。聞くところによると、展示に当たっては様々な制約があって、思い通りの写真が飾れなかったようだ。それでも懐かしい写真のいくつかを見ることが出来た。そして、改めて小さん師匠の高座での目力に圧倒された。剣道の達人らしく、いかに真剣勝負で高座を務めていたかがよく分かる。

 そのほかY氏の出版された写真集が何冊か並べられていたが、手に取ると今は亡き高座の師匠方の姿が生き生きと残されていた。中でも花緑が入門当時に祖父の5代目さんから角帯を締めてもらっている写真など、ほほえましいものもいくつかあった。やはり写真は後世に残すべき貴重なものになることを改めて教えられた気がする。

 

 毎月10日前後に落語協会の2階で黒門亭会議が開かれる。毎週、土、日に行なわれる黒門亭の問題点を話しあったり、翌月の顔付けが行なわれる。この日は先日、黒門亭を抜いた(出演日に来なかった)人がいて、その方への今後の取り扱いが話し合われた。このところ高齢出演者による物忘れのヌキが増えてきた。

 その後、翌月の顔付けが行なわれたが、6月は5週まであるので少し時間がかかった。黒門亭委員が一斉に電話をするのだが、その日によって、すぐつながる時とそうでない時がある。そして、折り返しの電話がすぐにかかって来ることもあれば、なかなかかかって来ない時もあって、簡単においそれとはいかない。

 それでも10時に始まって、お昼過ぎには終わった。その後、すぐに秋葉原の雀荘に。高校時代の同期生との顔合わせである。このところ、だいぶ間が空いてしまい、今年になって初めての手合いである。久しぶりのため、ルールの確認をしないと分からなくなっているメンバーもいる。

 夜10時近くまで囲んで、この日は終わった。途中、チョンボしたりコップを倒したり、とにかく大騒ぎである。聞くところによると、頭と手を使うためボケ防止には麻雀はいいようだ。しかし、以前囲んでいたメンバーの一人のように、病のためにいつか卓を囲めなくなる日が来るはずである。

 身内の祝賀会があるので、その席で落語と色物をお願いしたい旨のメールがあった。先方は音響のことやら食事の用意はどのようにしたら等の心配をしているのだが、そんなことより、果たしてどのような状況下で演芸を披露するのかをこちらは知りたいのだ。

 取り急ぎ、高座を設けてもらって座蒲団の用意をしていただきたいこと、そして、食事している場では落語は出来ない旨伝えた。それから数日たってから返事が来た。今回は見送るとのこと。どうやら先方では食事を楽しみながら演芸も楽しもうとのことだったようだ。

 昔から、この手の仕事を頼まれて何度かやったことはあるが、食事中の落語はまず聴いてもらえない。二つ目時代にはいくらかにでもなれば、と引き受けたのだが、今はとてもやる気にはならない。楽しんでもらいたいと思って演じた噺を聴いてもらえないのでは意味がないからだ。

 最近、ホテルなどでも食事と落語を楽しむような催しがあるが、ほとんどは落語をやってから食事をするというものである。あるいはまれに食事をしてから落語を聴く場合もあるが、いずれにしても食事をしている最中に落語をやることはまずない。どうか食事をしながら落語を聴きたいというような贅沢なお考えはお止めいただきたい。

 今年も黄金週間がやってきた。例年通り、5月の上席は浅草演芸ホールの昼席である。昼席のトリが木久扇、夜席のトリが小三治師匠である。今年は正雀との交互出演となっていて、お互いの話し合いによって、アタシは奇数日の出演となった。

 そして恒例となった初日の打ち上げは稲荷町のKというとんかつ屋と決まった。かつて稲荷町に住んでいたアタシの師匠の八代目林家正蔵の長屋からもすぐの所にあって建物はきれいになったが、味だけは昔のままである。この店にはよくお遣いに通ったものである。

 当時は主にメンチカツとコロッケを買いにやらされたのだが、明治生まれの人間にとってはメンチやトンカツは洋食だと思っていた節があって、久々に贅沢なご馳走をいただくんだというような感覚があったようだ。だから、買い物に行くといっても年にせいぜい数回であった。

 浅草演芸ホールの専務と一門の出演者、それに師匠のおかみさんと娘さんらで総勢15名ほど。現在店は昼だけの営業のようで、この時間帯は特別に開けてもらっているので、いつも貸切となっている。昼の営業時間は近所のサラリーマン等で大いににぎわっているようだ。

 ビールで乾杯して、とんかつ、メンチ、コロッケ、サラダなどみんな遠慮なくいただく。買い物に来ていた前座の頃はそんな贅沢な食べ方は出来るはずもなく、メンチとコロッケが半分ずつというような質素なものであった。噺家の暮らしも食べ物だけは昔とは違って、だいぶ豊かになったきたようだ。

↑このページのトップヘ