独演会が終わった。今回で132回である。年6回、いつまで続くのか。会を続けるからお客さんがお出でになるのか、お客さんがお出でになるから会を続けるのか、鶏と卵のような問いかけだが、続けられるまでやることになるのだろう。いつかは終わるのだから。
さて、今回の助演は花いちと講談の琴柑の二人。二つ目の二人だが、今や二つ目にとっては戦国時代で、とにかく人数が多いので、しゃべる場所を自分で確保しなければならない。いや、二つ目ばかりではない。真打であっても自分で勉強会をやらなくては、せっかく噺を覚えても披露するところがないので、みな必死だ。
とにかく、今はお客さんを集めるのが大変。「東京かわら版」を見ればわかるが、平日でも20から30の落語会があって、土、日となると40から50ほどにもなる。だからお客さんの方でもどの会に行こうか迷うほど。まあ、噺家が多すぎるというのが一番の原因でもあるわけなのだが。
今回のアタシの演目は「師匠と弟子」と「旅の里扶持」。前者は八代目のアタシの師匠との思い出話のようなもので、「環境落語」をやる時に講演として常にやっているもの。いろんなエピソードがあって、そこそこ笑いが取れるので実に重宝している噺である。
後者はウチの師匠がやっていた長谷川伸先生の作品で人情噺仕立てになっているもの。旅先の噺家が母親が亡くなって、残されてしまった赤ん坊を里親に預けて、17年後にその赤ん坊に逢いに行く。そして、薄幸であったその母親に思いを寄せるといったような筋立て。
最後に新内の「蘭蝶」を一節語る所があるのだが、台本のその部分に「誰がやってもうまくいかない」としてあったので、ウチの師匠もそれじゃあ、何とかしてやろうと新内を稽古してやってみたんだが、やはり、うまくいかなかったとのこと。何とかなるものなら、やってみたいとも思うのだが、、、。
さて、今回の助演は花いちと講談の琴柑の二人。二つ目の二人だが、今や二つ目にとっては戦国時代で、とにかく人数が多いので、しゃべる場所を自分で確保しなければならない。いや、二つ目ばかりではない。真打であっても自分で勉強会をやらなくては、せっかく噺を覚えても披露するところがないので、みな必死だ。
とにかく、今はお客さんを集めるのが大変。「東京かわら版」を見ればわかるが、平日でも20から30の落語会があって、土、日となると40から50ほどにもなる。だからお客さんの方でもどの会に行こうか迷うほど。まあ、噺家が多すぎるというのが一番の原因でもあるわけなのだが。
今回のアタシの演目は「師匠と弟子」と「旅の里扶持」。前者は八代目のアタシの師匠との思い出話のようなもので、「環境落語」をやる時に講演として常にやっているもの。いろんなエピソードがあって、そこそこ笑いが取れるので実に重宝している噺である。
後者はウチの師匠がやっていた長谷川伸先生の作品で人情噺仕立てになっているもの。旅先の噺家が母親が亡くなって、残されてしまった赤ん坊を里親に預けて、17年後にその赤ん坊に逢いに行く。そして、薄幸であったその母親に思いを寄せるといったような筋立て。
最後に新内の「蘭蝶」を一節語る所があるのだが、台本のその部分に「誰がやってもうまくいかない」としてあったので、ウチの師匠もそれじゃあ、何とかしてやろうと新内を稽古してやってみたんだが、やはり、うまくいかなかったとのこと。何とかなるものなら、やってみたいとも思うのだが、、、。