2020年01月

 黒門亭委員の新年会が行なわれた。以前は神田駅前の飲み屋で開いていたのだが、なぜかその店がなくなってしまい、それからは御徒町駅近くの店で行なっている。今年は去年使った店でまた行なうことになった。しかし、午後4時集合と早いので集まるのかどうか?

 アタシは4時過ぎに行ったのだが、すでに4人が座って、まさに乾杯しようとしているところ。もちろん、すぐに仲間に加わった。それから三々五々集まって、結局、真打6人、二つ目2人、色物1人のメンバーが集まった。この日は特別話し合うこともないので、たわいのない話でワイワイ。

 委員には二つ目のメンバーも何人かいるのだが、どうも集まりが良くない。しかし、二つ目はやたらと忙しいらしい。どうしても師匠の用事に縛られたり、二つ目だけの会もあり、また、仕事も真打よりもこまめに動き回らないと入っては来ない。そんなこんなでどうしても時間が取れないようだ。

 それでも、この日は上下関係に関わらず、楽しく過ごした。近頃は仕事で一緒になっても打ち上げで一緒に呑むことも少なくなってしまった。だから、黒門亭委員の間でこのような時間が持てるというのは貴重である。最後は今年も仲良くやって行くことを誓って、めでたく店を後にした。

 

 今年初めての独演会が終わった。この日は大学の校友会の新春の集いとぶつかってしまい、客席が寂しくなるものと予想していた。しかし、今年初めてということもあったのか、普段よりも客席の入りは良かった。全くもってありがたい誤算である。

 いつも開場当初から自分の出番までは受付をしているのだが、椅子が足りなくなり、あわてて客席後方に椅子を出すような騒ぎとなった。アタシの会でこんなことは珍しい。この日は天気もよく、それほど寒さも厳しくなかったせいかもしれない。

 さて、高座の方は新年ということもあり、久々に「18歳と81歳の違い」をやってみたが、初めてご覧になる方もあったためか、結構ウケた。ここでは一席目に「親子酒」を出す予定になっていたのだが、スケの二つ目が「宗論」を出していたため、トリの「火事息子」と三本続けて親父とせがれの噺となってしまうため、出し物を差し替えた。

 トリの「火事息子」はウチの師匠の十八番と言ってもよく、他の師匠方の追随を許すことはなかった。それだけに気合を入れて稽古してこの日を迎えたのだが、何とかやり遂げることが出来た。肝心のお客さん方にも喜んでいただけたと思う。

 この日は予想もしなかった漫画家の方や浮世絵学会の理事の方などにお出でいただいて、楽屋への差し入れも多かった。酒や煎餅や菓子や漫画本など、アタシの大好物をたくさんいただいて幸せな夜となった。これからも気を引き締めて独演会を続けていこうと思う。

 

 今年も天心聖教の新春寄席が行なわれた。今年はアタシの担当で先方の希望でトリには三三師匠にお願いをし、「藪入り」を演じていただくことにした。当初、チケットの売れ行きが心配されていたが、信者さん方のご協力を得て何とか売り切ることが出来た。

 開演は午後2時半からなのだが、毎年お出でになっていらっしゃる方たちは事情を知っていて、自分の好みの席を取るために早くからお出でいただいている。アタシは責任者として早めに行ってお弁当をいただいてから開演まで時間があったため、とげぬき地蔵まで散歩することにした。

 散歩も終わり、ご聖堂に間もなく着くという時にカミさんから電話があった。アタシの小学校時代の同級生が入り口で待っているという。旧姓を聞いて何となくわかった風だが、確信は持てない。いざ、入り口に着いて顔を合わせたがはっきりとは分からない。

 それでも話を進めるうちにはっきりした記憶が戻ってきた。アタシの家の近所に住んでいた旧姓Kさんだった。もう30年ほど前から信者さんになっていて、旦那さんは65歳で亡くなり、現在は都内に住んでいるという。おそらくお逢いするのは60年ぶりだろう。

 アタシが出演するというので、わざわざお出で下さったそうだが、これも神様のお導きであろう。信心することでいろいろ新たな出会いもあるはずだが、こんなこともあるんだね。少し気をよくして楽屋に向かうと、すでに早い出番の出演者が集まり始めていて、いつもの笑い声で出迎えてくれた。

 新春早々、大学の授業を依頼された。以前にも3回ほど受け持ったことがあるのだが、東洋大学の日本文学文化学科の学生に対する講義である。内容は任されているのだが、噺家が受け持つのだから、物理学の授業をするわけがない。今回も落語に関連したものである。

 過去の授業では90分のうち、60分を講義に当て、30分で落語を1席伺っていた。しかし、今回は講義だけで90分やることにした。内容は以前とあまり変わった所はないが、より細かく内容を掘り下げて行なうことにした。そのためレジュメが必要になり、年末のうちに急いでまとめて原稿を担当教授に送っておいた。

 当日、講師控室で学生時代に同級生だった教授と顔を合わせたところ、事務方がレジュメをまとめてくれるものだとばかり思っていたら、教授自らがアタシの原稿をパソコンに打ち込んだのだという。そして、100枚ほどのコピーも自ら行なって来たという。いやあ、頭が下がる。

 それなら、素人ではないから誤字、脱字などなかろうと、レジュメ通りに「落語、落語家の歴史」について講義を進めていったが、これが微妙に違っていて、それこそお笑いになるような箇所があった。つまり、演芸会社という所が園芸会社になっていたのである。これには教授も思わず、赤面して恐縮していた。

 今年もしん平宅で新年会が行なわれた。今年は午後8時からという遅い宴会時間指定であったが、そんなには待てないので7時半に行ってみたら、やはり、すでに2人が呑んでいた。柳家1名とウチの一門1名である。柳家は何と5時半に来たのだという。繋ぎきれなかったのだろう。

 その後も三々五々集まり、全員で10名ほど。ほとんどは噺家であるが、他に元文部官僚さんと噺家未亡人が1人ずつ。後から来た連中で、しん平の一門である根岸の仲間は1名だけ、それに金原亭が1名、その他はすべてウチの一門である。声を掛けているのはしん平だから、どんな基準で選んでいるのかは分からない。

 はなはテーブル席で飲んでいたのだが、全メンバーが揃ったので、低い長テーブルを2台並べての宴会へと移った。メンバーが来るたびに濁り酒で乾杯。その後、円歌襲名の時に披露された時価?万円(信義はわからない)というワインがあるというので、それに代わったが、アタシはワインは飲めないのでパス。

 今年はこれといった余興もなく、部屋にある大画面テレビでしん平監督作品の「落語物語」を流すことになった。この映画が出来てから何年になるのだろう。改めて見直してみたが、仲間たちのかつての迷演技に大笑い連続。やはり、この作品は何度見ても面白い。

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