2020年06月

 今月は松丘亭寄席が開催された。 3か月ぶりである。密になるということで、今回も打ち上げはナシである。従って、会場もいつもの広間ではなく本堂で行なわれた。玄関に消毒液が置かれ、出演者もお客さんも手をきれいにしてから入場するようになっている。

 そして、高座はご本尊を背にして座るようになっているのだが、目の前1メーターの辺りに上から大きな風呂敷のようなビニールが下がっていて、それを通してしゃべるようになっている。ところがビニールなので扇風機の風が当たると揺れて、お客さんの顔がゆがんで見える。ということはアタシらの顔もゆがんで見えるはずだ。

 何はともあれ、お客さんの前でおしゃべり出来るのだから、こんなありがたいことはない。それに、コロナ騒ぎの真っ最中だというのにお客さんの数も30人ほどいらっしゃる。椅子は本堂いっぱいに1メーターほどの距離を空けて並んでいるのだが、ほとんどが埋まっていた。

 この日の落語会の数日前から寄席があるかどうかの問い合わせがずいぶんあったようだ。かつてお寺の都合で落語会が開けないような時も近所の集会所を借りてやったことがあるように、この会はとにかく休まずに毎月第4水曜日に30年以上行なわれている。だから、お客さんの方も筋金入りだ。

 終了後はすぐに解散となったが、アタシとRは常連さんと近所の中華料理屋さんで打ち上げを行なった。腹がいっぱいになってから、駅近くのスナックでカラオケを楽しむのが常であるが、やはりこのご時世なので、この日もご遠慮させていただくこととした。

 柳家三壽師匠が亡くなった。虚血性心不全とのことだった。三壽師匠との付き合いは長い。48年になるだろうか。アタシより少し先輩であるが、前座の頃は楽屋で一緒に働いた仲間だ。二つ目になってからも落語会を一緒にやったり、呑んだり、遊んだりしたもんだ。

 そもそも浅草のホテル貞千代でお客さんを集めて落語会を始めた時に誘ってくれたのが、三壽師匠だった。その後、地元の気仙沼の寝具店の2階で定期的に始めた落語会にも呼んでくれた。そんな縁で二つ目になってから始めたのが「白波五人会」だった。

 現在の龍志、馬生、扇遊師らと今は無き上野広小路の本牧亭で年4回で始めた会だったが、真打になってからも続いた。そして、真打になる時もアタシらと一緒だった。その後、ひと時演芸事務所の社長になり、仲間を方々に派遣することとなり、アタシも頼まれたことがあった。

 それからは自分ではあまり高座に上がることもなくなり、身体の不調などもあり、付き合うことも少なくなってきた。それでも、去年あたりは体調の良い時などは黒門亭などにも出演してもらったりしたのだが、お互いに気を遣うようになって、最近は逢う機会もなくなってしまった。

 通夜には柳家だけに多くの仲間が集まっていたがコロナのため、済んでからの会食もなく、少し寂しい集いになってしまった。帰り道で柳家の先輩のS師匠にお逢いした。そうしたら、「あいつ、給付金はもらったのかな」と訊く。「もらったでしょう」とアタシ。「全部、使い切ったのかなあ」「いや、全部は使ってないでしょう」「そうか、全部使ってから死んでもよかったのになあ」「・・・・・」。

 先日の夜、台所の壁をゴキブリが伝わっていた。今年もどこかから入って来たらしい。家の中で育ったわけではないので、どこかかは分からないのだが、毎年、夏になると2匹か3匹が侵入してくる。すぐに新聞紙を丸めて後を追ったのだが、冷蔵庫の下に隠れてしまった。

 翌日、ドラッグストアにゴキブリホイホイを買いに行った。1箱5枚入っているので、これで十分なのだが、どういうわけか2箱のセットでしか売っていない。仕方ないので2箱セットを買って、2枚を台所の出そうなところに仕掛けた。しかし、なかなかかからない。

 それから3日して、夜、洗いものをしていたら、レンジの横に現れた。カミさんにハエ叩きを取ってもらいひっぱたいて、見事仕留めた。3日の間、ずっとどこかに潜んでいたのだろう。その後、ホイホイを片付けたのだが、この先、また出るかどうかは分からない。しかし、やはり2箱はいらなかったように思う。

 それにしてもホイホイも今は楽だ。薄紙のシートをはがせばすぐに使える。しかし、発売された当時はシートの紙にチューブの粘着剤をジグザグに一面に塗りたくらなければならなかった。楽しみでもあったのだが、これが慣れてくると、結構面倒なものだった。

 コロナ騒ぎの中、ほとんどの落語会が中止か延期に追い込まれている。アタシも4月からは全く高座に上がる機会がなく、ほとんどが家の中にこもる毎日である。そんな中、久々に落語会を開催することが出来た。高座に上がるのは75日ぶりである。

 人の噂も七十五日というが、そろそろ世間から忘れ去られようとしている時に、やっと高座に上がることが出来たのだ。しかし、会場が密になることは許されず、定員の3割にも満たない人数しか入場が許されなかった。仲間の中には無観客でやらざるを得ないことも多く、それに比べればお客さんの前で演ずることが出来るだけでありがたい。

 お客さんにはマスクをすることを約束してもらい、お名前と連絡先を入場前に書いていただいた。ロビーの窓は全開にしてもらい、会場後方のドアも開放した。ただ、この時期なので、蚊が舞い込むことがあったようだが、客席のお客さんからの苦情がなかったのは幸いだった。

 客席がまばらで皆さんマスクをしているせいで大笑いというわけにはいかず、消化不良の感はあっただろうが、とにかくお客さん方も久々に生の高座に接することが出来て良かったと満足して頂けたようだ。毎度のことながら、今後は1日も早く正常な状態で皆さん方に心行くまで噺を楽しんでいただけるようになることを願いたい。


 NHKの「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、ティーカップの下のお皿は何のためにあるのか、という質問があった。正解は「カップがポットでお皿がカップだから」というもの。どういうことかというと、昔はポットが高価であったため、カップをポット代わりにし、お皿をカップ代わりに用いていたことがあったのだという。

 それで思い出したのはアタシが前座の頃、ウチの師匠がコーヒーを飲む時、時間がなくてすぐに飲みたいのだが熱くて飲めない時などは皿にあけて飲むんだ、と言っていたことである。いくら何でもそんな飲み方はしないだろうとずっと思っていたのだが、今回のことでそんな飲み方をすることがあったんだと初めて知った。まんざら師匠の言ったことも嘘ではなかったようだ。

 師匠の言ったことで、本当かどうか分からないことが沢山あるのだが、まさかということでも実は本当だったということが結構ある。やはり前座の頃、急ぎの用事で、おかみさんの下駄をはいて表に飛び出した時、「若いもんが女物の下駄をはくもんじゃあねえ」と怒られた。また、「往来で向こうから知った男に出会ってもご婦人を連れていたら、知らないふりをするもんだ」とも言われた。

 これは前者はチンピラ者に女が出来た時にその女の下駄をはくようになるからなのだそうで、また後者は出会った知り合いが連れの女性とどんな関係にあるか分からないのだから、やたらに声を掛けない方がよい、というものだった。果たしてこれは本当なんだろうか、一度チコちゃんに訊いてみたい。

 

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