カテゴリ: 植木等さん

 東洋大学の校友大会があった。この日は大学主催のホームカミングデーも同時に開催されて、大いに盛り上がるはずであったが、超大型台風が本州に接近していて参加者は例年の半分以下という淋しさだった。アタシも城東支部副支部長という身であるため、出かけて行った。

 本学教授の講演もあったのだが、むずかしい演題であったため、パスさせていただき、その後の懇親会から参加させていただいた。例年なら地下食堂いっぱいの参加者で埋まるのだが、やはり少ない。それでも青森の五所川原からのNさんは参加して下さった。太宰治の育った斜陽館を訪れた際には大いにお世話になった方だ。

 そんな懇親会の最中にすぐ隣で「植木等展」が行なわれていたので覗いてみた。バンドマン、コメディアン、俳優、文化人など、様々な顔を持つ本学のOBである植木さん。アタシもゴルフに3回ほどお付き合いして、その後も何かとお世話になった大先輩である。

 ゴルフ前夜、一滴も酒が飲めないにも関わらず、夜遅くまで酔っぱらいのお相手をし、ゴルフではキャディーさんを大いに喜ばせながらプレーをして下さった。そのサービス精神旺盛な姿は大いに勉強させられたものである。といってもアタシにはとてもまねの出来ることではない。 その「植木等展」で植木さんの残してくれた一文が目に留まった。

 人に対し、仕事に対し、常に誠意を尽くし、どうすればうまく行くか、どうすれば相手に満足してもらえるか、必死の気迫が周囲の人にも伝わって、協力が集まり事が成る。当たり前のことだが、この当たり前が難関突の基本である。 
 日々の仕事、人間関係を考える時、あらためて我が身を省みてみたい。
                      植木 等
   

 

 4月27日は植木等さんが亡くなってから、ちょうど一ヶ月。そして、その日青山葬儀所で植木さんとのお別れの会が行われた。会は午後4時からであったが、アタシが葬儀所に着いたのは4時45分頃。表玄関には『植木等さん 夢をありがとう さよならの会』という大きな立て看板。入り口を入ってすぐに係の人から関係者であるのか一般客であるのかを尋ねられ、関係者であることを伝えると受付へと案内してくれた。
 
香典は10万円包んできたのだが、(すぐウソだとバレるとこが悲しい)立て札に『誠に勝手ながら御香典の儀は固くご辞退申し上げます』とあるので、誠に不本意ながら、ありがたくお言葉に甘えて出すのを控えた次第。そして署名をするか名刺をとのことだったので、名刺を差し出した。
 
列の一番後ろに並び前方の大きなモニターを見ると、ちょうど加藤茶さんが弔辞を述べているところ。「ドリフターズはクレージーキャッツのネタをパクって食べてきました。」と言うと会場は大爆笑。続いて渡辺貞夫さん、ナベサダさんによる言葉に代えてのサックス演奏。そして最後に植木さんの弟子とも言うべき小松政夫さんの弔辞。「お別れの会って、こんなに面白い会だったんでしょうか。オヤジさんらしい会になりました。植木等は日本の宝です。」と閉めくくった。司会進行は徳光和夫さん。
 その後、親族から順に献花。時刻はちょうど5時だった。しかし、なかなか列が前に進まない。20分ほどしてから徐々に列が動き始め、アタシが式場に入ったのは5時半ごろ。何しろ横一列に8人ずつが並んで献花するのだが、それでもこれだけの時間がかかってしまった。これが焼香だったら、もっと時間がかかったことだろう。

 家に帰ってからテレビのニュースを見たら、なんと2000人からの人がこの会に参列し、植木さんの死を惜しんだと言う。人間やっぱり人柄だねぇ、、。植木さん楽しい思い出をありがとうございました。そして、本当にお疲れ様でした。それにしても笑顔の遺影が本当にすばらしく、とっても印象的でした。
 さようなら、植木先輩。
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植木さん4

 3月27日は母の命日。家族5人で芝・増上寺にお参りし、上野の鮨屋で食事をして帰宅。そしてTVで植木等さんが亡くなったことを知った。期せずして母の命日と重なってしまった。
 
 植木さんに最後にお逢いしたのは去年12月23日。ホテル・グランドパレスで「植木等氏の傘寿を祝う会」があり、私は少し送れて会場に入ったため、隅っこのほうでおとなしくしていた。後で聞いた話だが、その時、植木さんはすぐにアタシの姿を認め「おい、今入ってきたのは時蔵じゃないのか」と関係者の方におっしゃったそうだ。そして、そのパーティーで植木さん自身のご指名により、なんとアタシごときが大締めの音頭をとることになってしまった。本当に光栄なことであった。それから、わずか3ヶ月。こんなに早く逝ってしまわれるとは、、。

 植木さんに初めてお逢いしたのは15年前の夏であった。植木さんも東洋大学のOBということで、ゴルフにご一緒させていただいたのだ。そして、やはりOBのT氏の別荘が千葉県の勝浦にあり、そこに前の晩泊り、翌日近くのゴルフ場でプレイをすることになっていた。植木さんは酒は全く飲めないのでウーロン茶を飲みながら、我々のたわいのない話の仲間に加わり、自らも昔の懐かしい思い出話を語って下さった。
 
 その夜は別荘の一室で植木さんと2人きりで寝ることになった。何しろ翌朝は早く起きなくてはならないし、いいかげん酒の酔いも手伝ってアタシは眠くってしょうがない。しかし、植木さんの昔話は床に入っても終わらない。クレージーキャッツの裏話や映画のことなどなど。アタシはというと、ただウワの空で「ああ、そうですか」「へぇー」と気のない相槌を繰り返すばかり。今となっては、どんな話をして下さったのか全く覚えていない。ホントに勿体ない、申しわけないことをしてしまった。植木さんの貴重な体験談を間近に聞けるなんて、こんなチャンスは二度とあるはずがないのに、、。植木先輩、本当に申し訳ありませんでした。

 さて翌朝。勝浦は朝市というのがあって、オバちゃんたちが地元の取れたての魚や野菜を持ち寄って市をなす。それじゃあ、顔を出してみようかと一行は連れ立って出かけた。そのうちにオバちゃんたちが植木さんに気がついてサインをねだって来た。しかし、サイン帖や色紙があるはずもない。ソコハソレ、千葉のオバちゃんだ。図々しいのを通り越している。手に手にダンボールを持って集まって来る。ダンボールは値札に使うのでいくらでもある。
 
 いやあ、次から次へと何人サインしたのであろう。さすがに植木さんも閉口して「時蔵、お前もサインしろ。」アタシもサインはずい分したがダンボールにするのは初めてだ。植木さんがしているのにアタシがやらないわけにはいかない。何枚かサインして、早々に切り上げてゴルフ場へと逃げ込んだ。(ゴルフ場へ逃げ込んだのは初めてだ)

 朝食に和食を注文するとアジの干物が出た。すると植木さんが「時蔵、あたしの干物の食べ方って知ってる? こうやって食べるんだよ」と言うなり、ナント頭ごとバリバリ食らいついた。いやあ、その歯の丈夫なこと。あっという間に平らげてしまった。

 さて、いよいよゴルフ。植木さんの方から「じゃあ一打100円でやろうか」とおっしゃる。アタシが「ええー、100円ですかあ」と馬鹿にしたような顔をすると「あのね、そうやって馬鹿にするけどな、昔は100円あったら家が一軒建ったんだよ」「先輩、それは今から百数十年前の話でしょ」と言うと「クックックック」と笑っていらした。

 さあ肝心のゴルフの結果はアタシ、55,49、植木さん、54,50の同スコア。可もなく不可もなく、いやあ良かった、良かった。それにしてもプレイ中の植木さんはフェアウェイを歩いている間、ずーっと歌いっぱなし。キャディさんは大喜びだった。

 植木さんという人は何もしなくても、ただそこにいるだけで周りの人を明るく陽気にしてしまう、そんな不思議な人であった。そんな楽しいゴルフに、その後二度ほどご一緒させていただいた。誰にも好かれた植木さん、そして、とってもオシャレだった植木さん。もうあの笑顔が見られないのが残念だ。植木さん、本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

 
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