カテゴリ: 落語会

 今月の深川落語俱楽部も無事終わった。今回のゲストは瀧川鯉昇師である。大相撲東京場所の折には声をかけていただいて、土俵下の溜り席で一緒に観戦させていただいている。また、毎月第4水曜日には松丘亭寄席で一緒に高座を勤める。この会は40年続いている。

 そんなわけで最後の抽選会も手伝ってもらうことにした。かつて金太楼寄席でも毎回一緒に抽選会をやっていたので、その辺の息は分かっている。そのため、今回もそのままやっていると次から次へと話が弾んで漫才のようになってしまうため、抽選会に集中することにした。

 さて、前回打ち上げ会場で拾った財布の持ち主に、今回の落語会に来てくださいと声をかけておいたのだが、果たしてどうなったかというと、何と3名でご来場くださった。まさかと思っていたが、ちゃんと約束を守って下さった。やはり、健全で律儀な酒飲みである。

 その後、打ち上げ会場でも予想通り、ご一緒することになり、今度はこちらから改めてお礼を申し上げた。そんなわけで家族と鯉昇師ともども美酒を楽しむことが出来た。

 以前、年2回行なわれていた居酒屋での落語会が復活した。5年ぶりである。カウンターと小座敷に15人も入ればいっぱいになる店であるが、20人ほど入ったのではないだろうか。最前列のお客さんとアタシの距離は1メートルほどだ。

 今まではカウンターの席の方までは声が届かなかったため、今回からマイクを通して音が届くようになった。これで皆さんに楽しんでいただけるようになった。午後6時半の開演であるが、始まる前からほとんどの方が飲み始めている。飲み屋だから、これは仕方がない。

 しかし、飲んでおしゃべりをするわけでもなく、皆さんおとなしく聴いて下さる。マナーはきわめてよろしい。2席、小一時間噺をしてから、本番の飲み会となる。以前と変わったところは知り合いの高齢者がほとんどいなくなったこと。お客さんが様変わりしたのだ。

 しかし、落語をやっている時の雰囲気は以前とまったく変わらない。宴会になってから、若いお客さんの何人かと話をしてみたら高齢者の介護の仕事をしているという。アタシも高齢者だけにこういう方々にはホントに頭が下がる。

 こういったいい雰囲気の中でちゃんと噺を聴いていただいて、楽しい宴会が出来るというこんなありがたい落語会はいつまでも続くことを望みたい。この日はアタシの誕生日の前日だったため、花束までいただいてしまった。こんな心遣いにも大いに感謝したい。

 

 

 深川落語俱楽部が終わった。以前に比べればお客さんの入りも少しだが、良くなった。コロナ明けということなのだろう。今年は落語協会100年ということで、各寄席ではトリで「百年目」を持ち回りでリレーでやる企画もあるようだ。

 そんなこともあって、今回の花緑師匠のトリネタは「百年目」であった。ただ、大作で長い噺なので終演時間に気を付けないといけない。この晩も終演予定時間を大幅にオーバーし、会場の裏方さんから注意を受けてしまった。

 終わってから、いつもの居酒屋で家族と食事。帰ろうとして店の外に出た所で、アタシが黒革の紙入れを発見。中を見ると万札が数枚とカードが入っている。店のマスターに訊いてみたが、近くに交番はない。家の近くの交番に届けるべく、家族ともども歩き始めてしばらくすると、マスターが自転車で追いかけてきた。

 店のお客さんが落としたとのことで、当人は酔っぱらってしまい、同伴していた男女が受け取りに来た。中を確認して間違いないようなので、次回の落語会に来てもらうとの約束を取り付けて、紙入れを渡した。これにて無事一件落着。久しぶりに大きな拾い物だった。

 久しぶりに復活した落語会が行なわれた。今回が5回目であるが、何と4年半ぶりである。コロナがなければ毎年行なわれていたはずなのだが、中断を余儀なくされてしまったわけである。以前は毎年、バス旅行を行なっていたそうなのだが、みな高齢になり、参加者が少なくなってしまったので、それに代わって落語会をやるようにしたという、なかなか殊勝な考え方である。

 当初はアタシと二つ目2人と前座を交えて4人の出演者であったのだが、今回は二つ目と2席ずつの番組でやることにした。お客はよく聴いてくれる方ばかりなので、こちらとしてもじっくりと噺に向き合ってもらういたいという趣向である。

 中入りをはさんで2時間15分。久々に落語会という名にふさわしい会にはなったと思う。場所は町会会館で、50人も入ればいっぱいになるのだが、コロナ明けということで入りが心配されたが、申し込みをしていない飛び込みの客などもあり、満員となった。ありがたいことである。

 ほとんどが高齢者であったが、コロナ前と同様、陽気なお客さんで大いに盛り上がった。終わってからの打ち上げも話が大いに弾み、今後も続けていただけることになった。これからも大事にしていきたい落語会のひとつである。

 社会人による「やねせん落語会」を早めに抜け出して、雲助師匠の落語会を拝聴に行った。バスで会場のトリフォニーホールへ向かったのだが、途中、石原2丁目から乗り込んで来たのが、まごうことなき雲助師匠その人であった。アタシは後方の席にいたため、降りてから声をかけることにした。

 錦糸町駅で降り、すぐに声をかけ一緒にホールへ向かい、二人して楽屋口から入る。タイトルは「すみだが生んだ人間国宝・五街道雲助落語会」である。出演者はあんこ、和泉、円菊、楽一、雲助で、すべて墨田区の住人である。

 楽屋入りが早く出番まで時間があったので、部屋にお邪魔していろいろと話をうかがった。人間国宝になってから仕事が増えたかと訊くと、取材やら問い合わせの類がやたら増えたとのこと。北海道新聞やら、普段あまり縁のないところからの取材が多いという。 

 人間国宝に関しても質問をしてみた。国からの褒賞金の名称は何というのかと尋ねたら、補助金というそうで、年2回に分けて振り込まれるとのこと。そして、驚いたことに京都に移った文化庁にて行なわれた人間国宝のセレモニーに参加した時の旅費は自前なのだそうだ。 

 雲助師は一人で行ったそうだが、中には連れ合いや側近、弟子など4、5人で行った方もあったそうで、宿泊代も含めてすべて自分持ちだから、これはちょっとした旅行である。そして、人間国宝の方はすべて「先生」という呼称なので、雲助先生と呼ばれたそうだが、かなり違和感があったとのこと。

 また、補助金をいただいた際の使い道の内容を記入する書類があって、そこにはもっともらしいことを書いたそうだが、弟子の1人は「弟子養育費」と書いてもらい、少しお裾分けをいただきたいと申し出た者がいたそうな。

 この日の人間国宝の演題は「子別れ」。充分、堪能させていただいた。今度は一緒に過ごした両国中学校3年11組の在学中にどんなことを考えていたのか、その辺の話もうかがってみたい。

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