カテゴリ: 貞千代

 ひと月ほど前に毎度お世話になっている手拭い業者から8月いっぱいで廃業するというハガキが届いた。型紙を作ったばかりだったので、どうなることかと思っていたが、送ってくれるとのことで先日届いた。廃業の原因は健康問題ということだったが、コロナがそのきっかけになったのは間違いない。

 我々にとっては手拭いは欠かすことの出来ない品だけに、新たな業者を見つけなければならない。しかし、40年以上にわたってお世話になってきただけに、知らない業者に任せる訳にはいかない。新たな良心的な自分に合った業者を探さなければならない。面倒なことだ。

 そして、浅草の助六の宿・貞千代もすでに廃業したという。ここは二つ目の頃、亡き三壽師匠から紹介されて、何人かの仲間が交代で宿に泊まっているお客さんを相手に落語を披露していた場所である。また毎年元日には、そのお世話になった仲間が集まる場所でもあった。

 その後、真打になってからは貞千代の社長に頼まれて、地方の旅館やホテルに出向いて落語会を開催してもらい、出向くことも多かった。そのようなこともこれからはなくなってしまうのだ。残念だ。とにもかくも、毎年元日に、そこに行けば誰か仲間に逢えるという場所がなくなってしまったのが一番さびしい。

 午前0時、我々近所の連中が弁天様と呼んでいる江島杉山神社での甘酒接待が始まった。参拝者もここ数年、年を追うごとに人数が増えているのだが、今年はさらに増えて4百名を超えたようだ。数年前までは考えられないことである。列がなかなか途切れず、午前1時過ぎになってようやく人もまばらになった。焚き火の火を消し、弓張り提灯を引き取り、てんでに家路に着いた。

 初席は浅草の東洋館、12時30分上がり。高座を終えて、例年通り近くの宿、貞千代へ。手拭いを手渡し、時鐘亭に入ると津軽三味線の太田家元九郎師匠がすでに一杯やっている。聞くと先発隊の何人かはすでに帰ったと言う。いつになく今年は出足が早かったようだ。1時間半ほど焼酎でお相手をして、元九郎師が寄席に行くと言うので宿を後にしようとすると、玄関で古今亭菊春師匠とバッタリ。もっと早く來いよ。まったく間の悪い奴だ。

 いったん帰宅し小休止して午後6時すぎ、三軒茶屋の木久扇師宅へ。すでに師匠もご在宅。お客さま大勢の中に彦いち師、きく姫師、兄弟子、春輔師ご夫妻の顔も。ここでも焼酎。しかし、兄弟子は隣にお目付け役がいるので思うように酒が呑めない。まったくお気の毒。二ツ目のひろ木に目配せで酒を注ぐように一生懸命合図するのだが、この二ツ目、見事なくらい気が付かない。いや、大笑い。

 その後、正雀師、木久蔵師、久蔵師らも加わり大騒ぎ。木久蔵師の長女も2歳になり、何かとお客さんの世話をやいている姿がおかしい。去年には長男も生まれ、久々に賑やかな三軒茶屋らしい正月となった。午後10時過ぎにおいとまし、正雀師と共に駅へ向かった。

 新しい年を迎えました。明けましておめでとうございます。
 毎年、元日の過ごし方は浅草・東洋館の初席を勤めてから、三軒茶屋の駅で家族と待ち合わせて木久扇宅へ伺うのが常となっている。しかし、今年は師匠が日本テレビの「大笑点」の生放送でホテルで終日缶詰になっているため、師匠宅に集まることが叶わなかった。

そんなわけで寄席が終わると、すぐ近くの<助六の宿>貞千代に出向くことにした。フロントで手拭、Tシャツを渡し時鐘亭へ。すでに柳家小団治師匠、林家のん平師匠、そして社長が酒を酌み交わしていた。社長は正月は下田の爪木崎の姉妹館へ行くことになっているのだが、今年は若旦那が体調を崩しているので浅草に留まったようだ。その社長から例年通りお年玉をもらう。この年になって(そういえば今年は年男で還暦を迎える)お年玉をもらえるのは芸人なればこそである。

 乾杯をしてまもなく、幇間の桜川米七師匠が登場。その後しばらくして、ROXでの獅子舞を終えた古今亭菊龍師匠も加わって、だんだんと宴会も賑やかになる。そして、酒が進むにつれ、いろんな話が次から次へと繰り出す。落語協会のこと、寄席のことなどなど。

 仲間と飲むといつも思うのだが、みんなそれぞれが悩みを持ち、自分なりの考えを持っているということだ。ただただ能天気に毎日を過ごしているわけではないのだ。
 貞千代の宴会はまだまだ続いていたが、4時をまわった頃、小団治師と二人、貞千代を後にしアタシはカミさんの実家の砂町の新年会へと向かった。d2a7fae4.jpg

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