カテゴリ: 家族

 本来はあんこが呼ばれて行くべき敬老の日の余興の落語にアタシが行くことになった。あんこの仕事の都合で、その時間には間に合わないため、どうせなら知らない芸人よりは知り合いの方がいいという先方の希望で、アタシにお鉢が回ってきた形だ。

 寄席では代演はよくあることだが、二つ目の代わりに真打が行くことはない。その敬老会は以前はアタシもよく行っていて、今回が初めてではない。しかし、コロナで間が空いてしまい、4年ぶりということだ。それでも、まだ呼んでいただけるだけありがたい。

 この手の年1回の仕事というものは一度途切れてしまうと、もうそれっきりということが普通だ。声をかけていただけるだけでありがたいと思わないといけない。そんなわけで時間はあまりなかったが、精一杯勤めさせていただきました。

 長男夫婦、あんこ夫婦の全家族が全員集まって、我が家で食事会を行なった。というのもコストコで3家族分のまとめ買いをしたので、その分配を兼ねての会食である。しかし、これが初めてというのだから、今までなぜやらなかったのだろう。不思議な家族だ。

 子供たちが小さい頃の30年ほど前の話で盛り上がり、いろんな話題が持ち上がった。その中で、近くで小鳥屋がなくなったという話が出た。そういえば、この近辺でも小鳥屋は全く見ない。それで思い出したのがアタシが飼った手乗り文鳥のことだ。

 アタシが小学生のころ、アーモンドチョコレートを買って、その中に入っている券を集めて手乗り文鳥を飼い始めたことがあった。そのために、かなりの数のチョコを買ったはずだ。そして、ひな鳥を引き取りに行ったのが、歩いて25分ほどの小鳥屋だった。

 最初に飼った手乗り文鳥はすぐに死んでしまい、それから2、3度その店に文鳥のひなを買いに行ったことがあったが、その小鳥屋もすでになくなって、今ではあたりにはどこにもない。今、小鳥を飼っている人はどこから買ってくるのだろう。

 以前はデパートの屋上には必ずと言っていいほど、小動物や小鳥などの販売していたもんだが、今ではそういうものもなくなってしまった。そういえば、近所で小鳥を飼う家もほとんど見かけなくなった。家族が集まると昔の懐かしい話をいろいろと思い出させてくれるものだ。

 3月2日はアタシの誕生日である。誕生日を迎えても70歳を過ぎると別にこれといった新たな感慨というものはない。それでも何か日常と違った何かがあるのではないかと期待してしまう。早速、カミさんが晩御飯は何がいいかと訊いてきた。

 それじゃあと、マグロの刺身ととんかつが食べたいと希望を伝えた。とんかつは売ってなかったので、メンチカツにしたという。メンチでも別に悪くはない。それにしてもマグロは奮発していいものを買ってきてくれた。食べてみたら、実にうまい。計算したら一切れ200円ほどの赤身と中トロである。

 夜になるとあんこ夫妻が祝いに駆けつけてくれた。婿殿からは八海山の一升瓶のプレゼント。近頃は家では甲類の焼酎ばかりやっているが、たまには日本酒、中でも八海山がいい。ただ、吞みすぎてしまうのが玉にキズ。ありがたく、後日ゆっくりいただくことにしよう。

 鬼に笑われそうだが、来年の誕生日は出来ればディズニーランドに行ってみたい。誕生日のバッジをつけているとスタッフの皆さん方から祝福の言葉をかけてもらえる。これがうれしい。小さな子供たちとおんなじように童心に戻れるところが何ともいいのだ。

 家族3人で旅行に行ってきた。今回は鴨川である。別にどこでも良かったのだが、カミさんに任せたら、今回はここに決まった。途中、茂原のカミさんの妹夫婦の所に寄ろうというので、どうやら、こちらの方面に決めたようだ。

 駅に妹が迎えに来てくれて家に向かう。ここには先月亡くなった親父さんの遺骨を納骨まで預かってもらっているので、線香をあげてから昼食の用意。天ぷらを揚げてそばをゆでる。エビのほかは芋などの地元の野菜、これが何ともうまい。

 茂原から安房小湊駅へ出て、迎えのバスで鴨川のホテルへ。熱くなって来たせいか部屋がムッとするので窓を全開にして網戸にして空気の入れ替えをする。晩御飯は食堂での半バイキングであるが、マスクをしてビニール手袋をしての食事。

 部屋に戻ると網戸に無数の虫が群がっている。羽蟻のような虫が網戸の隙間から入り込み、大した数ではないが虫退治で大騒ぎ。網戸にしていなかったらと思うとゾッとする。このことはホテルの方でも注意喚起したほうがいいように思う。

 翌日は鴨川シーワールドへ。ここはアタシの希望ではなかったのだが、イルカの美しさとシャチのダイナミックな泳ぎ、客席への大水しぶきで大盛り上がり。予想以上の客の多さにも驚いた。このところ、コロナで家にこもってばかりであったが、たまにはこんな息抜きも必要だと実感した。    
  コロナ禍の家族旅行とかけて、孔雀と解く。そのココロはたまには羽根を伸ばしたい。

 カミさんの親父さんが亡くなった。なんと100歳と1か月である。肺に水が溜まって入院し検査の結果、結核菌が見つかり転院し、数日して眠るように亡くなった。大往生である。1か月前にはウチの家族6人で100歳の祝いをしたばかりである。

 最後までしっかりしていて、病院に入るまで自分でトイレにも行っていたくらいだ。だから、入院中もすぐに家に戻れるものと思っていたようだ。しかし、コロナの影響で家族との面会もかなわず、天寿を全うすることになってしまった。

 亡くなった5月16日はアタシの師匠の八代・林家正蔵の誕生日であり、五代・柳家小さん師匠の命日でもある。だから、忘れることの出来ない日となっている。ちなみに少し後輩の夢月亭清磨師匠の誕生日でもある。

↑このページのトップヘ