カテゴリ: テレビ

 日本テレビ日曜の看板番組「笑点」の大喜利メンバーの木久扇が来年3月をもって番組を降板することになった。2年前に自宅で転んで骨折し、正座が出来ずに現在は椅子に座っての姿となっている。寄席などの高座も同様である。

 しかし、体がきかないわけではなく、しゃべれないわけでもないので、傍から見たら、まだまだ出来そうであるが、当人は引き際が大事だと思っているのだ。すばらしい決断だと思う。思わず、先日、激励の手紙を送ってしまった。

 我々芸人はスポーツ選手のように身体のどこかが支障をきたすから、これ以上続けることが困難であるといったことが少ない。座っておしゃべりが出来れば何歳になっても出来る仕事である。したがって、いつまでもその地位にとどまることが多い。

 番組を降板するということは後進に身を譲るということである。よく決断したことと思う。しかし、噺家を辞めるわけではないので、これからも高座でご機嫌をうかがうことになる。ファンにも落語界のためにも今後も元気で高座を勤めていただきたい。

 

 NHKの「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、ティーカップの下のお皿は何のためにあるのか、という質問があった。正解は「カップがポットでお皿がカップだから」というもの。どういうことかというと、昔はポットが高価であったため、カップをポット代わりにし、お皿をカップ代わりに用いていたことがあったのだという。

 それで思い出したのはアタシが前座の頃、ウチの師匠がコーヒーを飲む時、時間がなくてすぐに飲みたいのだが熱くて飲めない時などは皿にあけて飲むんだ、と言っていたことである。いくら何でもそんな飲み方はしないだろうとずっと思っていたのだが、今回のことでそんな飲み方をすることがあったんだと初めて知った。まんざら師匠の言ったことも嘘ではなかったようだ。

 師匠の言ったことで、本当かどうか分からないことが沢山あるのだが、まさかということでも実は本当だったということが結構ある。やはり前座の頃、急ぎの用事で、おかみさんの下駄をはいて表に飛び出した時、「若いもんが女物の下駄をはくもんじゃあねえ」と怒られた。また、「往来で向こうから知った男に出会ってもご婦人を連れていたら、知らないふりをするもんだ」とも言われた。

 これは前者はチンピラ者に女が出来た時にその女の下駄をはくようになるからなのだそうで、また後者は出会った知り合いが連れの女性とどんな関係にあるか分からないのだから、やたらに声を掛けない方がよい、というものだった。果たしてこれは本当なんだろうか、一度チコちゃんに訊いてみたい。

 

 近所にある私設図書館の眺花亭に出かけた。この日は月1回行われる映像によるイベントの当日だったのだ。懐かしの映画やドラマ、テレビ番組などが放映される。今回は昭和35年ごろのテレビ番組から「まぼろし探偵」と「少年ジェット」の2本立てである。

 「まぼろし探偵」には吉永小百合が出演するというので、どんなもんかと申し込みをしたわけである。以前、ここでは「怪傑ハリマオ」やら「月光仮面」も見たが、今回改めて見てみると、やはりその頃のテレビ番組は映画と違って、いかに金を掛けずに安直に作られていたかがよく分かる。

 それに知った役者はほとんど出てこない。冒頭に藤田弓子さんの名前があったので目を凝らして見ていたが、女子事務員としてほんの1カットだけである。当人と確認するほどにはっきりとは顔が確認できない。それにセリフもないから、本当に当人なのかは分からない。

 「少年ジェット」が丸の内のビル街を颯爽と愛犬シェーンと駆け抜けるシーンがあったが、当時のビル街は実に立派である。現在のビル街とは比べるまでもないが、当時の官庁街は重厚で落ち着いた雰囲気があって、見ごたえがあった。車の数も驚くほど少ない。

 それにしても他に役者がいないのかと思えるほど、素人に毛の生えたような役者が多い。監督はどんな演出をしていたのか訊いてみたいほどだ。それにストーリーも実に簡単。子供だから、すべて納得して見ていたのだろう。それに比べたら、今のテレビドラマの格調がいかに高いかがよく分かる。ああ、そうだ。吉永さんはかわいかったですよ。

 NHK新人落語大賞の収録が行なわれるというので、次回の落語会の連絡ついでに Pが本選に残ったので、励ましのメールを入れておいた。そうしたら、先日その結果の返事が来た。「師匠、ビリッケツでした。応援して頂いたのに申し訳ありません」とのこと。

 スカッと爽やかな返事だったので、まあ、いいじゃないか、という心境。しかし、その模様をテレビで見て、Pの出した演目が「湯屋番」だったことに違和感を覚えた。もちろん師匠と相談して決めたのだろうから、それなりの勝算があってのことだろうが、アタシにはどうも納得がいかない。

 どうみても「湯屋番」は男目線から見た噺である。女流が遊び人の若旦那を演ずるにはどうしても無理がある。なぜ、それに敢えて挑戦したのだろう。師匠にも落語は男の演ずるもの、女流がやっても男を越えられるはずがない、と言われているとのこと。

 だったら、ここは敢えて新作で臨むとか、女目線で攻める演目や地噺を何故選ばなかったのだろう。その方がはるかに有利に働いたはずだ。当人は出られただけで満足とのことだったが、Pはそんなことで満足してちゃいけない芸人だ。来年は出場するかどうか決めかねているようだが、ぜひとも来年は大賞を手にしてもらいたい。

 5月3日、日本テレビ「まっすぐに智華子~全盲の少女と家族の13年~」を見た。帯広市在住の現在中学2年生の小野智華子さんは生まれて間もなく、未熟児網膜症に罹り、まったく目が見えない。

 実は智華子さんは双子で、お姉さんは生後まもなく亡くなり、そのお姉さんの分も生きるんだと小さい頃に決心したと言う。そして、彼女を支えてきたのは、目が見えないことを障害と思わず、前向きに育ててくれたご両親、特にお母さんだ。

 家族は月に一度、いまだに両親も目隠しをして食事をしている。これは智華子さんの提案で始まったと言う。お父さんはビールはこぼすし、お母さんも思うようには箸が進まない。

 智華子さんは小学生の時から水泳を始め、パラリンピックを目指し100メートル背泳の種目に挑戦してきた。しかし、今回の北京パラリンピックではその背泳の種目がなくなってしまった。仕方なく、急きょ、慣れないクロールの予選に挑んだが惜しくも4位。しかし、これからもパラリンピックへの挑戦を続けると言う。そして将来は看護師になりたいという夢を持っている。

 アタシも毎日をこの様に前向きに生きていかなければいけないのだ。見始めてからおしまいまで涙があふれて止まらなかった。

 

↑このページのトップヘ