カテゴリ: 学校寄席

 大分県の中学校から学校寄席の依頼があった。その日は「3年生を送る会」があり、その中で落語をやって欲しいという希望である。そして、その依頼の背景にあるのが、「学びに向かう力を育てる本物に出会う企画講座」というもので、もともとは教育委員会からの提案であったとのこと。

 そして、小学校の国語の時間では落語を学習する機会があるのだが、中学校ではそのような機会がないので、生の落語を生徒たちに聴かせたいというのが学校の考え方である。それを聞いて、今どきそのような粋な企画を立てる教育委員会や中学校があるものかと、まず驚いた。

 演ずる時間は午後の時間帯で60分とのことなので、アタシ1人で何席かやるよりも2人で4席やる方が良いと考えて、二つ目を生け捕って、当日大分に向かった。空港からはリムジンバスで約2時間。飛行機に乗っているよりもバスで移動する時間の方が長い。

 全校生徒は約200人なのだが、それに比べて会場の体育館がばかに大きい。普通の体育館の2倍近くはあるだろう。そのため心配なのは音響である。体育館で行なうととかく音が割れるものだが、音響の先生が調整して下さった結果、アンプも大きくて何の心配もなかった。

 担当の先生の話ではシャイな生徒が多いとのことで、最初は戸惑いもあったようだが、二つ目が落語に関するレクチャーを念入りにやってくれたお蔭で、思っていたよりも反応は良かった。二つ目が1席目を長めにやったため、2席目は時間がなくなり玉すだれをやったのだが、これも生徒たちには好評であった。

 この日、落語を聴いてあまり内容が理解できなかった下級生もあるだろうが、何年か後に、そういえば中学校で落語を生で聴いたことがあったなあ、と思い出してもらい、少しでも落語に興味を持ってくれるような生徒が現れてくれればありがたいと思う。

 

 

 

 鍼灸学校からメールが来て、盲人の噺をしてほしいという。アタシのホームページを見たのだろうが、よくアクセスしてくれたものだ。盲人を扱った噺はいくつかあって、以前、盲人の方ばかりを集めて盲人の噺を特集した落語会を催したこともあったが、久々のことである。

 今回は杉山和一という盲人の噺をやって欲しいというのだが、これは落語でにはなく元は講談で、アタシは8年ほど前に講談のK先生から教えてもらったものである。稽古を頼んだら、先生の会にアタシを使ってくれて、その会で演じるということになった。

 たまにこういう稽古の仕方もある。1対1の稽古ではなく、どこそこの会でやるから、そこへ来なさいとか、いついっか寄席でやるからそれを聴いて覚えなさい、といった風である。その時は浅草の料理屋であったが、高座の横の杉戸を通しての稽古となった。

 その後、覚えてはみたが、どちらかというと特殊な噺なので、やる機会になかなか恵まれなかった。それだけに今回は異例である。そして、もう一人、二つ目さんを頼んでくれというので、Pを連れて行くことにした。二つ目の噺は何でもいいというので当人の希望で「悋気の独楽」に決まった。

 当日はその学校で、何らかの総会があって、その後に2人で1時間枠を取っての落語会となっていた。果たして何人集まるか分からないということだったが、集まったのはほとんどが学生で、その他にその父兄の方々や先生方も何人か集まって、数にして100人ちょっとになった。

 総会の後なので、机が用意されていたのだが、全部片付けてもらうことにした。どういうわけか、机があるとお客さんの反応が悪いのである。それと予め送ってもらった写真では高座が低いので20センチほど、かさ上げしてもらった。大体皆さんが考えている高座は低い時が多い。しかし、これでは顔は見えるのだが、所作が見えないことが多いのだ。

 Pと30分ずつに分けてやったが、アタシが大学の教室でやった時と同じように、あまり反応のいい方ではなかった。どういうわけか大学生は反応が弱い。だから、今回のように笑いの少ない人情噺は却ってありがたかった。Pにもいい経験になったことと思う。

 

 毎年恒例になってしまった母校、東洋大学での講義を今年も承った。日本文学文化学科の授業の特別枠で社会人がその専門としていることを講義する内容である。担当の教授は大学時代の同級生で文学部長をしているN教授である。学生は毎年変わるので内容は同じでも構わないのだが、先生が退屈するのではないかと思い多少中身は変えている。

 今年は主に江戸時代を中心とした噺家の紹介と江戸時代後半から、何故人情噺や芝居噺が多くなっていったかを、当時の歌舞伎界の事情とからめて説明することにした。噺家は室町時代の安楽庵策伝から明治時代の三遊亭圓朝まで、主にその活動と業績について語った。  

 当時の庶民は経済的、時間的、場所的な理由から、芝居よりも寄席の方に足が向いたことを分かりやすく説明したつもりだが、果たしてどれだけ理解してもらえたか。とにかく去年は時間がなくなり尻すぼみになってしまったので、今年は余計なことは言わずに何とか時間に収まるように努力した。

 この講義に先立って、毎回落語を一席演じているのだが、学生には昔の言葉が理解できないらしく、とにかく受けない。それに懲りたので、今では受けなくても腹が立たないような人情噺を選んで演ずるようにしている。そんなわけで今年は「ねずみ穴」。でも、今年の学生の反応は思ったより良かった。

 授業を終わってから、学生食堂で軽食をすませてから、たまたま学祖、井上円了の講義があったので聴くことにした。以前から行われているのは知っていたのだが、いつも土曜日の午後なので、なかなかスケジュールが合わなかったのだ。この日はちょうどいい機会なので教室を覗いてみた次第。やはり、聴いてみて良かった。また覗いてみようと思う。

 13日、今年も東洋大学の特別講義を大学時代の同級生のN先生に頼まれて行って来た。まずは講師控室でN先生にお会いして打ち合わせをしていると、着替えをする茶室からお声がかりで、お抹茶を差し上げたいというので出向いた。

 講義の前にお茶を立てて頂けるとは風流だが、アタシの頭の中は授業の組み立てのことでいっぱいだ。しかし、ちょうど喉も渇いていたのでお抹茶2服とお菓子まで頂戴してしまった。

 急いで教室に行って高座を作る。空き教室の机を運び込み毛氈を敷くのだが、この毛氈が見つからないとのこと。結局、毛氈は見つからず机の上の座布団に座る。

 去年は分かりやすい噺にしようと「子ほめ」をやったのだが、これが全くの空振り。今年はウケなくてもいいような噺をと思い「文七元結」にした。今年は受講生が大幅に増え、去年より一回り大きな教室である。でも寄席じゃあないから、もらう物は同じである。

 マイクなしで不安だったが、今年の学生は大変に反応が良かった。それともアタシの芸が上がったのか(そんなわきゃあない)。変に笑わせようとしないで、それなりの聴かせる噺の方がいいのか。

 一席の後は落語の起こりから落語家の歴史へ。ちょうど三遊亭円朝まで行って時間となった。ケータイも鳴らず誠にいいお客さんである。これならまた来年もやろうという気になるが、もう少し報酬を上げてもらえるとありがたいんだけど・・・。
 今年の東洋大の学生とかけて、腰痛に即効性の膏薬ととく。そのココロはよくきいてくれるので助かります。

 23日(日)、東洋大学校友大会が白山校舎の井上円了ホールで行われた。例年は秋の開催であるが、久々の5月開催である。第1部は午後1時、新校友会長、学長らの挨拶があり、元西武ライオンズの松沼選手ら3人によるトークショーに続き、いよいよ我々の出番である。

 今回の出演者は桂伸治、三遊亭萬窓、三遊亭遊喜、三遊亭円福、春風亭傳枝、三遊亭きん歌、入船亭遊一、そしてアタシの計八名である。卒業生であるのが条件であるが、中には在学中に挫折して中退した者もいる。

 初めは瀧川鯉之助改メ春風亭傳枝の真打昇進披露口上である。緋毛氈を敷き詰め、そこに新真打を真ん中にズラッと七名の噺家が並んでごあいさつ。司会は遊喜である。みんな新真打には関係のない、勝手なことを言って笑いを取る。

 その後は黒紋付きから思い思いの着物に着替えて八名による大喜利。落研の学生に手伝ってもらい、特に女子学生には張り扇を持たせて、アタシの司会で進めていく。

 一問目は「もらってうれしい物、うれしくない物」。「もらってうれしいのは紀州の梅干し、うれしくないのは九州のウメボシばばあ」の類の珍問答。二問目は相撲の新弟子の名前付け。「以前、居酒屋で働いていたので仲居山と付けました」「どうなりました」「突き出しが得意です」ってなやつ。今年も大好評でした。どうやら大喜利は定着しそうだ。

 2部は場所をスカイホールに移しての懇親会。予想をはるかに超える500名近い校友が集まったため、身動きが取れない状況。来年は場所を変えないといけないかも知れない。ここでは校友の歌やらチアリーダーの応援歌。そして、そのさ中アタシはTシャツの販売。えへへへ。

 お開きになってからはアタシが所属する城東支部有志12、3人で近くの居酒屋へ。来月はいよいよ城東支部総会が行われる。アタシは会計監査役を任されている。噺家に会計監査を任せるとは、よほど余裕のある支部だということが分かるだろう。

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